枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

天災には人災・・・

2013年09月03日 | Weblog

 各地に、被害が見られる。天災か人災はさておき、豊かさがもたらした大きなつけだ。快適さも便利さも紙一重で、自然の前には、人間は防ぎようがないのだ。抗おうとしても、規模の程度さえ不明。可能な限りは、避けられる方法を考えたい。

 早朝、ナメクジと格闘。小さなのはつかめない。葉裏にいるので篩う。いっちょまえに、角を出してすばしこい。捕獲しても、次から次と湧いて来る。土の中が棲まいだからしょうがないが。蟻は、雨には巣穴でおとなしくしているかと思っていた。

 めげない生き物です。自分達の餌を、巣穴に運んでいる。正しく、わき目も振らず。道を遮断しても無駄。微かでも匂いを嗅ぎつけ、本能のままの行動。ありがたい、等とは言うてはおれない。死ぬまで同じ事を繰り返す。ある意味凄いこと。

 この1週間で、涼しいのを通り越し肌寒い。網戸は閉め切り、衣類は秋仕立て。果物も野菜も、旨味が乗ってきた。秋刀魚もそろそろ。大根も美味しい季節になる。茄子も同じで、漬物にも天麩羅にもいける。青空市での買い物はわくわくする。

 枇杷葉の花芽も、そろそろ苞の状態が現われる。来月くらいにははっきりする。それにしても、秋の気配が一気に増し、空が高く感じられる。異変が起きている、とはいうものの季節は廻っている。不思議な気が著しいのも、或いは確かなこと。

 原発の下に、活断層があるから、稼動させてはいけない。のではなく、核のゴミが出るのを、処分する方法が見つからないし、プルトニュームが危険であるから、稼動はさせてはならないのだ。専門家でなくたって、子どもにでもわかる理屈。

 核のゴミを、これ以上は増やさないこと。放射線の安全も、安心もないから、未来もみえてこないので、稼動はならない。と言うておるのだ。活断層がなかったから、其処に原発を建てたのではなかろう。危険がわかっているから、地方にした。

 東京のど真ん中に、原発を建てればよかったんだ。危険ではなく、安全で安心。と言うのだったら、今からでも遅くはない。都庁の横に建ててください。スカイツリーも、地震がくれば、一溜まりもない。嘘つき東電と庇う国会議員のお歴々だ。

 山女の種をばら撒いておいた。発芽したものだ。山女は、初夏に花が咲き、秋真っ盛りに生る。咳止め、痰取りに効果。

コメント
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