最近は、春にする所もあり、運動会の目的から外れることも、と考える。前回のオリンピックの時からではないか。秋の刈り入れの後に、村中をあげてやっていた。五穀豊穣の祈りもあり、神聖な意味もあった。当時、やたらと長い来賓祝辞に閉口した。
然し、マナーは何れも変わらない。種類は変化した。午前中は競技に出場し、午後からは観覧席での家族同伴。消防団の操方訓練を見ながらの昼食。出店も数軒来て、祭りの名残もあった。あの時に飲んだサイダーの味は、忘れられない。今のと違う。
親の躾の問題で、煙草の喫煙には注意されたい。また、遊具で遊ばない、張り紙があるのだ。使わないよう言い聞かせるのが努め。それにしてもペットボトルの類の多さと、スナック菓子の豊富さにたまげる。きっと、放射線が使われているのは知らない。
安く、簡単に腹がくちくなるが、咽喉の渇きは半端でなく、コップに注いで飲むより、がぶ飲み。お一人様の考え。誰かが飲むだろう、とか。そういった口飲みはいけない、という意識が低い。いやいや、外に出たら、躾をしているかどうかが問われる。目が点。
こういった、何でもない当たり前のこと。当然ながら躾ができている、という前提で、大人になって仕事をしてみると、その差に歴然たるものがある。手抜きはむろんのこと。何事も、忙しいで片付ける。働くという心構えがない。給料分の働きをしてほしい。
どんな仕事内容にしても、しなければならない。立場では同じだから、話し合うことも必要。勝手に決めて押し付けられるのは遣り難い。まあ世の中、解り難いことばかり。考え過ぎると頭も剥げる。心因性の病気にもなる。莫迦らしいと言えばそれまで。
我が家の周りは、何処となしに雰囲気が違う。パワースポットであろうか。銀河が、近頃よく視える。気配がある。特別のことではない、何もしないことが、出入りできる条件なのか。枇杷葉の持つ威力も、無関係ではなかろう。儲けには縁がないが。
初夏の庭には、真紅の薔薇が咲く。挿し芽をして増やしている。愉しみの一つでもある。