枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

桜堪能す,望・大潮

2015年04月04日 | Weblog

 朝起きると、昨夜までの大雨が止んでいた。身支度を整え、散らし寿しの準備にかかる。友人と待ち合わせての花見だ。何時も通りの竹輪と蒲鉾、沢庵を切って混ぜる。味付けの椎茸に、カニカマとしめ鯖を乗せ出来上がり。枇杷葉茶をペットボトルに。

 おっと。珈琲を忘れるところだった。豆を挽いて淹れ、ポットに注ぐ。友人に連絡をして、出掛ける。自宅から、出た山際には桜が散っていた。県道に出て一路待ち合わせ場所に。途中の沿道に民家に、山に桜が満開である。木蓮や木瓜も咲き乱れる様だ。

 友人を乗せ、片栗の咲く場所に向う。何処も彼処も桜、さくら。まるで山がうれしそうに踊っているよう。それにしても、春休みでもあると言うのに、子どもの姿が全く無い。主貫道を外れれば、車にも遭わない。片栗の群生地に着くが、人影も見当たらない。

 天を仰ぐようにして、墓所があり、その斜面にびっしりと咲いている片栗の花。咲き終わったのも、蕾もあり、千差万別の美しさに圧倒される。一輪草も、咲いていた。白い一重の花が清々しい姿だ。昼食には早く、友人の目当ての場所まで移動することに。

 時折対向車があるものの、辺りは山桜と山野草ばかり。鶯が連呼する長閑な山間。枇杷葉で消毒して、弁当を広げる。友人は、多過ぎるとぼやいていたが、たちまちにして平らげる。まあ、美味しかったのんでしょうね。食後の散歩と、友人と辺りを歩いた。

 ここにも一輪草があったが、未だ蕾で咲いていない。然し、桜は、古木でありながら、散ってしまっている樹も。灰屋が朽ち果てて、以前は此処での鉱物が産出していたことを物語る。烏も優雅に羽を広げている。川のせせらぎが聴こえる中で、珈琲を飲む。

 気温がぐんぐん上昇し、20℃は超えているよう。暖房を止めているが、車内は暑い。窓を開けて走行する。服装はブラウスだが、汗が出て来る。帰路途上、桃の花を撮る。早生品種への受粉している農家もあり、今から愉しみにしたいと感謝しつつ写す。

 友人を下ろして、燃料補給に行く。山桜をたっぷり見て、枝垂れ桜を写す。花曇の日であったが、雨が降らなかったことに感謝する。自然からの贈り物に、心からの想いを持つ。当たり前ではなく、行けたことに、見れたことに想いを馳せる。ありがたき日だ。

 昨冬の花芽。たくさんの花芽に、気を佳くしていたが、寒さにやられてしまう。樹も傷んでくるので、毎年の剪定を。

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