役としては、好い感じである。周りを固めている、というか配役も先ず先ず。まあ、原作とは違うのは致し方ない。何せ、主役なのだから、出ずっぱりは当たり前だ。でも、そこを曲げて、初めと終りは、原作通りにやってほしかった。神原和彦役はイメージが・・・
前編を観てから、後編に行こうと、友人と弁当持ちで出かけた。枇杷葉茶と、豆を挽いた珈琲をポットに入れ、お結びを2個作った。出掛ける時間を間違え、心配した友人に詫びる。電車には充分間に合うのだが、如何せん歳を重ねると、思うようには行かず。
それにしても、藤野涼子は素晴しい。井上君、町田君も好い感じ。今時の女優は、売れてくると直ぐ脱いだりするが、役で磨きをかけてほしい。また、やたらとタレント活躍はしてもらいたくない。息の長い女優を目指されることを祈る。次は、英雄の書のユーり。
友人は、我が家の良書を借りて行くのだが、先日は誘拐と孤宿の人を貸す。宮部作品は、どれも好きだが特に惹かれる。現代版では、魔術はささやく。直ぐに映画になってしまうが、配役に違和感を抱くことも間々あり、がっかりしてショックは隠せないのだ。
松子役はぴったりだが、樹里役は気の毒だが、痘痕面で遣ってほしかった。まあ、個性的な配役では、主役が霞んでしまう帰来があったのだろう。映画作りはスポンサーにも因るらしいから、そんなことばかりでは出来上がらない。もう一度原作を読むかな。
連休を無事に終え、明日から仕事ですな。旧の如月が済めば、弥生となる。小さなお雛さまを飾っているが、新暦の21日が旧暦では節句に当る。風雪激しい初春であり、中々暖かくならないが、確実に季節は廻っている。きらん草が、小さな青紫色をつけた。
桜は、八重に転じており、枝垂れ桜も散り始めた。山桜も、山合いに所処に見えるが、葉桜になっている。花水木が咲き始め、藤や桐に変っていく。どの季節にも花があり、其々に愉しませてくれるが、決して人間のためではない。自然界の営みは摂理に元づく。
きらん草の種が、あちこち歩き周っている内に発芽したものらしい。草かと思っていたが、羽毛が見えてわかる。今は、花が咲き出している。