枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

霞か雲か・・・

2015年04月24日 | Weblog

 弥生の朧月夜が、中々観られないと想っていたら、昨夕の研修で眼にする。誰も、宇宙など見上げる者は居らずで、もったいないこと。自然からのエネルギーを分けてもらえるのに、何と残念なことかしら。命との深い拘わりがあるのに、気づかない。

 旧暦や、暦を見ていると、動いてはならない日や、してはならない事柄があるのだ。人間の手前勝手にはできない、自然の摂理がある。先ずは知ろうとすること、次にはそういったことを守っていくことが、とても重要で大切になってくる。天知地知る。

 天を知ろうとすれば、己の小さきを悟り、宇宙の摂理に気づく。驕らず、怠らず、謙虚さを持つことは、人として当たり前のように思えるが、金が絡めば地位がほしくなる。貧乏で好いとも思うが、消費税が上がるのには、暮らしが立ち行かない。困窮。

 贅沢がしたい訳でも、遣りたい放題が望みでもない。たまさかの旅行や、食事の満足感があれば、それなりの生活ができるからだ。他人に頼るのではなく、自分の趣味を通じて、行き来をしたいものだ。暮らしの中に、花があること、読書可能な事。

 衣類に関しては、箪笥の中が一杯で入らない。これからは、捨てるばかりになる。新しいデザインにはついていけない。昔の物の方が、質がいいので着ている。敗れたら繕いをして、修復不可能になったら、雑巾にしよう。毛糸は解いて使うんだよ。

 そういったことは、自分の工夫で出来るが、耳と歯、眼は中々難しい。特に歯は、自分で出来ないから、とても困るのだ。耳と眼は、枇杷葉のお蔭で、可なり改善している。結膜炎も治った。中耳炎にもならない。有難いことこの上ない、枇杷葉に感謝。

 山茶花が咲き出した。これは、買った時、夏椿となっており、沙羅双樹とあったもの。2年後には山茶花に。

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