冬の宇宙は、大気が澱んでいるよりも、澄んでくるものだが、暖冬の影響からか、星が観え難い。それでも外に出るようにしている。明日の天気を知りたいためだが、眺めていると厭きないこともあって、つい佇む。夜間の空気は、何かしら怪しい。
枇杷葉の花芽の香りが一面に漂って、じんわりと身体を包みこむ。やさしい匂いに触れていると、心が和み、解き放たれる。自分を取り戻す貴重な時間だ。しじまの中を思うさま流れ、宇宙を翔けて時を超える。月の女神の、やさしさも感じながら。
施設に預けていて、面会には来るが、一向に自宅に連れて帰らない。或いは、遠くを理由に会いに来ない家族もある。介護の仕事は選んだが、こちらが利用者や家族を選べる立場ではないのだ。それにしても、自分の親ではないか。哀しいことだ。
また、自分達が出来ないことをしてもらっている、と言う家族も。たいしたお世話ではないが、下のことをしてくれて。と感謝の言葉だ。自宅で看るのは、こういったことが増えて、昼夜を違わず徘徊したり、汚物の片付けに精根尽きる。思い誤る・・・
入所させて、料金を払うから、そっちでやってくれ。というのは本人にとって、どれほど寂しいことだろう。邪魔者扱いはしないで、自宅に連れ帰ってほしい。認知症であれば、施設で生活させればいいというのは間違い。国の政策が根本的に違うんだ。
某新聞連載の小説が、もうすぐ完結する。ちょっと最後のどんでん返しで、びっくりしたが、金があれば良い施設に入れる。庶民の低所得者や、更に下なる者には、生きる権利さえないのだろうか。癌には成り難い体質は可能だが、認知症はどうだろう。
枇杷葉の芳香が素晴しい。自宅の駐車場に下り立つと、身体中がよろこぶのだ。総ての命を感じ、生きていることを感謝する。夜気の色濃い中で、宇宙を観あげれば、カシオペア座も認められる。昴も観えてきた。今晩は、三日月と金星が並んでいる。
明日は、忘年会である。弁当はほか弁の仕出し。加えて豚汁であるが、生憎の険食が当たっているので、もったいないから食べる。弁当がいいのは、自分の好きな物を入れられるからだが、旬の物で賄う。大根のレパートーを増やそう、と研究している。
夏が過ぎ、葉月になると、宇宙も美しく観えだす。旧暦の七夕には、銀河鉄道がやって来、盂蘭盆会に向う。