枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

霜月、望・大潮

2016年12月14日 | Weblog

 ぐずついた天気で、午前2時まで待ったが晴れず、諦めてしまう。雨は降ったり止んだり、雲が広がる宇宙だった。今朝も、時雨のある空模様で、ふとんは干せない。洗濯物が乾くといいが。図書館に出向き、返却と延長をしてもらい帰宅。

 午後からは、友人が来宅し、珈琲タイム。小川珈琲の002を飲む。友人は、香りも味もさっぱりだが、流石に価格か美味しいね。その後知人が訪れるので、それまでに散らし寿しを作っておかねば。酢飯を作り、段取りを終えたら電話が。

 寒い中を来るのは構わないが、枇杷葉の生葉を採り、クリスマスのプレゼントを用意し渡す。小さな子どもに、お金をあげるのは余り好まないが、お年玉は別。それでも、金額や渡し方にも問題があるので、一応親の気持ちを尋ねておく。

 時間も、お金も、使い方を誤ると、とんでもなく借金が嵩む。原発の新設も、再稼動にも明日はないのが解かっていながら、議員連中は遣りたがる。誰が、どのようにして後始末をするのだろう?放射線の怖さを知っていれば解決策は無い。

 山口県に、中間処理施設を造れば。地元の反対を押し切って、建設など出来ないだろう。同じ山口県でも離れた場所になら、強行に進めようとするが。上関への中電の横暴さにも、きっと現首相の意向があるのでは。庶民の気持ちは無視。

 リエさんに頼んでおいた書籍が届くかな?夕方にかけてが多いので、自宅に居るようにした。明日は、枇杷葉の花芽を採れれば、しーちゃんの分も含めて、送る手配にしなくちゃ。今年は物凄い花芽で、然も満開状態。花芽茶も美味しい。

 Aさん家に出かけ、水をもらって来る。珈琲も、むろん枇杷葉茶も、この水でないと美味しくない。定例の枇杷葉茶を変える日なので、多目に汲ませてもらう。知人には、この水で沸かした枇杷葉茶を飲ます。その割りには、忘れることが多。

 普段の自分の心の有様が、災いをもたらしたり、福となったりするが、気づかないことが多いのだ。自然への畏怖の念や、感謝の想いが欠けていると、知らずに過ごす。介護の世界も似たようなもので、業務だけをこなすなら負担は軽いが。

 業務の内容は、その殆んどが排泄処理で、困難なことを見守り、援けていくのが、自立に繋がっていく。だが実際には、1対1では到底できない。一人で大勢を看るのには限度もある。個々の人格も、環境事態も、予想外の展開が待ち受ける。

 認知症への答えは無い。症状を緩やかにしたところで、治ることはないし、止めることも出来ない。家族が受け入れて、共に過ごせることが、最大の介護ではないのか。それには、知識が必要なのは解かるが、愛情の掛け方にも縁るだろう。

 ペコロスのいつか母ちゃんにありがとう。現場で働く者として、何時も悩むのは、これでよかったのか?対処方法を間違っていなかったか、と言う思いだが、反省しても後には戻れないもの。仕事であるからするのだが、通じ合わないことも有。

 相手も人間なら、こちらも人形ではない。意識の違いが開けばひらくほど、言葉にならない哀しみが広がる。構ってほしい願望にも様々なパターンがあって、答は一つではない。自分も歳がいき、そういった症状の出る可能性が大きいのだ。

 初夏に咲く大輪の薔薇。挿し木をしたこっちのが勢いよくて、元は枯れてしまった。原種に戻ったのか、次々と開花していく。

 

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