枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

霜月、気忙しさに・・・

2016年12月08日 | Weblog

 旧暦では、霜月であるのに、新暦では12月なので、何となく雰囲気が気忙しい。既に、施設だけの忘年会やクリスマスも済ませ、次には施設全体のクリスマス会である。職員の忘年会も近づく。勤務表も、希望を出しながら変更する。寝正月にしたいが。

 早出の勤務は、暮れかける時間なので、月が上空で輝くのが観える。銀河旅行には持って来いの星日和。淡く揺れる月や、星座を眺められる幸せに感謝。晴れれば佳し。曇れば明日に期待して眠りに就く。自然からの恵に、心を向けていられる幸せを。

 日本が戦争に向けて、未明の真珠湾を奇襲したのは、何処をどう間違っていたものか。尊い命を亡くされた多くの方に、詫びる言葉も無い。わたくしたちの命は、そういった多くの方の犠牲の上にあることを、決して忘れてはならない。国会議員には無い。

 星を観て、何が愉しいか?と聴かれて、其処に宇宙があるから。としか答えようがないが、古人は星の運行で、1年を測り、月の満ち欠けで、暮らしを立てていた。雨に雲の動きに、自分達の生活の糧を増やし、私利私欲に走ったことから、間違ってくる。

 個人的には、無宗教で無信心である。神という存在には、宇宙そのものを想う。森羅万象の、命を形創る元を指す。宇宙を漂ったことがあれば、あの氷つくような、暗闇の中を浮かんでいれば、何所かに下りたくなるもの。命は、長い旅の果てに誕生する。

 そういう感覚は、記憶の中に残っていることもあれば、忘れてしまうこともある。使命感にもとづけば、或いは憶えているのかも知れない。特殊な能力が、潜在的にある場合にも、表面に出ることもあれば、因子が出ないこともある。生まれた瞬間は天才だ。

 人類だけではない。どんな小さな物にも、命が宿る。人間は、殺すことを厭わないが、動物や昆虫にはない。生きていく上で、必要な糧であるから狩るのだ。生活が豊かになり過ぎて、人類は飽くことを知らない生き物になった。今地球の滅亡に向うばかり。

 歴史の本を紐解けば、どの時代にも往ける。未来の世界には、何が待っているのだろう。放射能に汚染され、人類の姿は無く、廃墟の跡が残る。きっとノアの箱舟も、援けてはくれない。知恵と勇気の残された者だけが棲む。夢のような話は何処にも無い。

 南側のちょっとした畑にしている場所。枇杷苗を5本ほど植えているが、これは忘れていたのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする