枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

師走、朔・大潮

2016年12月29日 | Weblog

 今朝は、定例の塩換えである。邪気を祓う目的で、毎月朔日に行う。加えて、テーブルクロスも換えておく。洗濯も、浸け置きにしてから洗う。年末年始の休日をしたいが、日勤での出勤が少なく、手不足になるため、連休を取った。曇空から、雪花が舞いそう。

 大掃除も、粗方済ませている。愛車の洗車は明日の予定で、部屋に掃除機を掛ける。廊下は雑巾で毎日掛けており、空拭きだけにする。花芽を採りたいのだが、これも明日に持ち越す。枇杷葉の剪定も、12月と言うが、旧暦でのことで、正しくは師走のこと。

 それには、小寒と大寒が含まれて、節分までに行うのが佳い。寒さは、立春を過ぎた頃が一段ときつく感じるが、春と聴くからかもしれない。冬の寒さがなければ、草花の発育もないし、実る手段にも変化が生じる。自然の中で生かされ暮らすには我慢も必要。

 沖縄辺野古への、工事再開には、県民を無視したごり押しがある。無論のこと、賛成も多くあるだろうが、真珠湾への慰霊に行くくらいなら、基地を造るのは撤回しなければと思う。加えて核保有に賛成等、戦争への危惧を禁じ得ない。強行に遣る理由は何?

 林檎。来年こそは収穫したい。今年、頂き物にあった林檎は、形は不細工だが、味は絶品であった。見かけだけの物でない、温かさを感じた。無農薬の林檎には、自然を生き抜いた証があるんだと、口中に広がる味に感謝した。我が家の枇杷葉の実も同じだ。

 人間の生死は、誰にも変えることはできないが、惜しい方が旅立って逝った。中でも、今以って哀しみが深まるばかりの、末吉暁子さんには、初めてお遭いした時から、何十年も変わらず接してくれたことが記憶に鮮明だ。ファンであることを越えての配慮に泪。

 鬼にも、やさしい鬼がいていいのかもしれない。あの青鬼もそうだが、赤鬼のために悪役を演じて去って行く心根。強面の鬼の姿をしていても、その内面には誰も気づかない。人間こそ、自分勝手で傲慢なことだ。出遭ったことへの感謝と、助けられなかった詫。

 リエさんの枇杷葉が、この寒さで止まってしまった。自然の働きには、それに適った動きがあるようだ。サンタさんのは、年が明けてから採ろうと決める。花芽は鮮度が大切で、着いたら直ぐに詰め、冷凍庫で保管して。サンタさん、お茶パックを買って待ってて。

 もう何年も咲いている四季咲きのバラ。今も、寒さにめげず咲いている。薔薇って、暑い時だけかと思っていたが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする