藁ぐろが田の中に立ち、牛の餌にするのは、突き立てて屋根の形にしており、格好の遊び場であった。石垣の上から跳ぶ、あの瞬間の心地好さは格別だ。当然のこと、大目玉をくらうが、懲りずに翌年もやる。太陽の光をふんだんに吸い込んだ、稲わらの匂い。
稲わらは、服の中に入ると痒い。遊んでいる時には、気づかないが、家に帰った途端の雷に思い出す。その晩は、何時もより丁寧に髪を洗わされ、乾かすのに苦労した。子ども頃には、ドライアー等は無く、タオルくらいなもの。おまけに翌朝には、髪は雀の巣状態。
ちじれ毛の猫毛なので、朝は悲惨な状態で、泣くになけず、癇癪を起していた。祖母は、烏の羽のような髪だが、父親の遺伝子が影響したもの。天然パーマに、大人の慰めには無償に腹が立ち、綺麗な髪がうらやましかった。今は諦めている。子ども心は複雑。
昔にも、苛めはあったが、それ以上に関心が多くあり、深刻にはならなかったのだろう。貧乏は自分のせいではないが、食べることが一番で、兄妹の順番や、大きさの比較に忙しかった。何時もお腹を減らしていたから、多少の不満や不平になっていたものだろう。
衣食足りて、とも言うが、考えてもほしい物は余り無い。この世に性を受けて、今現在の暮らしがどうにかなれば、それでいいと思える。書籍は、自分の好きな作家さんの著作があるし、図書館で借りれば好いこと。DVDもCDも、聴きたいアーテェストは持っている。
小椋佳さんを初め、曲や詞のはっきりとしたのを好む。どちらかと言えば、クラシックの方が好きで、指揮者に拘ることも多い。最近は、店に行って選ぶことがないので、新聞の書評を見る。タイガースは、自分だけで聴きたくて買った。瞳みのるさんのドラムに酔う。
昨夜の宇宙の素晴しさは、正に銀河のロマンスだった。寒さも忘れて、宇宙を観られる、至福の幸せに感謝する。神話の英雄らが、緩やかに歩き、話している。心をときめかせ、自由に時空を翔んでいく。遥かなる宇宙の流砂に、時の経つのも忘れて彷徨える今。
枇杷葉の花芽の香りに、引き戻され、庭に居ることに気づく。今朝は早出であった。遅刻をしては、と切り上げる。激務の勤務を終え帰宅する。ブログの更新も、略毎日で、皆に書くことがあるものと言われるが、日記です。これって毎日だから、日記って言うのだろう。
暑さの残る初秋の庭。今年は、比較的過ごしやすかったが、枇杷葉茶と塩で乗り切った?いや、イタドリもかな。