枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

風化しつつ・・・

2020年03月12日 | Weblog
 広島・長崎への原爆投下は元より、淡路・神戸震災や、東北地震災害の原発事故を、きれいさっぱり忘れてしまう人等の、何と多い事であろうか。他人事であり、我が身に起きていないから、大変ねぇ、とは言うが口調には些かの想いもない。だから各地への被害の程が広がる。或いは今回のように細菌からの感染になっていく。嘆かわしい政権の影響も大。

 高校野球が中止なら、オリンピックも同様であろう。以前より書いて来たが、こういった見えない事への対策は無く、延期も考えていない返答である。まあ、人類が滅亡への道を往くのだ。気づかぬ者は浮かれていればいい。予知夢での視えたことに戦慄が走るが、それも真摯に受け止めていこう。地球は命の集まりで、人類だけの物ではない。馬鹿が多い。

 今年は9年目であるが、大潮だった。これが当時の潮であれば、被害は大規模に広がっており、逃げ場もなかった。時間も満潮時でなかったから、生存者が居たのだが、立ち直りできない形相に転じていたことは明らかだ。況してや、福島第一原子力発電所が、崩壊しなかったと誰に言えよう。日本の国土の大半が消滅していた。まさにオリンピック騒ぎは否。

 新聞の記事に、怖いのは津波ではなく、逃げた場所でここなら大丈夫と思うこと。とあった。命がかろうじて助かった方や、哀しみの中で生きておられる方のことを案じるが、一瞬のことへの奇跡でもある。生きることは苦難の路でもあり、心が折れてしまうものだ。事情は違っても、生きることを選択した者も居る。神の与えた命が、誰かに恩返し出来る。

 勤務先で、当時の映像が映されていたのを観て、息を呑んだ。自分の身体が濁流に呑まれていく感覚があった。眼が霞み、呼吸も出来ず、気付いたら不思議な場所に居た。怖いも、恐ろしいもなく一瞬のことだった。肉体は既にないが魂は残る。愛する者の傍に居て、そこに添っていられる幸せもある。あなたのことは決して忘れません。他の誰が忘れても。

 月の昇らぬ夜は、心が物足りない想いになる。あの姿の優美さに、心がときめいてしまうのは我独りか。
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