枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

終息は何時のことやら

2020年03月13日 | Weblog
 特別な思いはないが、これだけの近代化であれば、古来の感染経路も時間も超えるのは、事態を憂えば判っていたこと。それなのにオリンピックに固執して、中止にするかの考えはなく、他人事のように済ませる。初めから誘致せねばいいものを、強引に推し進めている元首相にも呆れる。競技を変更すれば感染が広がって行く始末だ。いい加減で安易な施策。

 休日の一時を食事をしよう、と予約していて出掛けたら、睡眠不足で食事処ではないと言う。連絡方法は幾らでもあるのに、肝心のことには気が回らないのか?誰のことでもなく、自分の身の振り方を話そうとしたのを、聴く耳を持たず大欠伸である。呆れてしまって食事が美味しくない。早々に切り上げて帰宅した。この人は、相手のことには無関心なのだ。

 介護の仕事には、体力も気力も必要だが、それ以前に予測を立てることも必要である。一人がAの業務をしていれば、Bは見守りであったり、話し相手をしたりと、しておくことは幾らでもある。何を優先するかはその時の状況にも依り、一日として同じことでは済まない。アクシデントも起きるし、一瞬の油断が事故にも繋がる。8時間労働だが気は緩められない。

 勤務を終えて帰宅したら、ぐったりしてしまうのです。年齢的に働けるだろうと言われても、性格上無理な事もある。自分の仕事に自信をもって充には、心が折れてしまうのだ。家でのことなら手抜きも自分だけで済むが、仕事となると他人への迷惑以外何物でもない。可能性は残されている内に辞めたい。分からず屋の上司にもうんざりだし、今後の暮し優先ですね、

 気温の上昇に伴い、庭は春めいてきている。海棠の蕾が大きくなっており、ヒアシンスも咲いてきた。蓬が葉を繁らせているし、枇杷葉の花芽の中には、小さな実が見えている。愉しみの持ち方には多々あるだろうが、これ以上の幸せはない。自然からの恩恵に祈りと感謝で過ごしたい。昨夜は、帰宅が遅くなったが満天の星だった。オリオンも大隈も小熊も光おりて。

 夕方からの雨で、ここ暫くは夜空が観えていなかったので、究極の美しさに酔いしれてしまったもので、春先にこれ程の星々に遭遇したうれしさは最高だ。皆、何が忙しくて星を観ないのか?災害が起きたときだけ、明かりが消えた分眺めるのか?人間の愚かさを嘲笑うかの現象でもあろう。普段から気づいてほしいもの。死ぬことも苦節があるが、生きることも苦難。

 星は何でも知っている。神々の時代からそこにあり、人間界を見下ろして来た。人の命など一瞬の出来事か。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする