枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

如月、彼岸明け・大潮

2020年03月23日 | Weblog
 だから言っているのに。オリンピック処の騒ぎではない。福島の汚染処理水問題にも、コントロール出来ているだの嘘を並べて、何がなんでも実施する。延期も中止も考えていないそうだが、金儲けをするためなら、他人は切り捨てても好い意向。これがまともな施策であろうか?任期の延長を謀り、居続ける図々しさである。安易なことは慎もう。

 福島の汚染処理にしても、段階があるものと素人でも思う。汚染水が海洋に放出されて、結果的には地球が死滅する。沖縄の辺野古移設も、人類の命が拘っていることに触れず、一方的な悪者扱いである。国の責任もなく、なし崩しの暴挙である。軟弱な海底に埋め立てをすれば、珊瑚は元より被害が広がる予測に無関心か。無理難題の押し付けだ。

 天気が続くので、蒲団を干しておく。すばるがゲロを敷布団に吐いたので、シーツを剥がして洗い糊付けをする。昨日の続きの移植もあり、鉢の土を入れ換えて植える。クリスマスローズも、株分けが必要で、春先は何かと用事が増えていく。その後、青空市まで出掛け、山が霞んでいるのに眼をやると、桜が開花しているのが見える。春真っ盛り。

 沿道の辛夷や白木蓮も満開状態で、木瓜も山吹も際立つ。このところの気温上昇に、一斉に花が開いたのだろう。例年なら、人出も多く宴会が見受けられるが、今年はさっぱりで猫さえ見えぬ。然し、本来はこれが当たり前のこと。桜は、人間のために咲くのではない。季節を感じて綻び、自然を廻らせるのだ。夜桜も、月明かりの方が美しいもの。

 宮城まり子さんが亡くなったようだ。ねむの木学園を資材を投じて創られ、困難にもひたすら取り組まれておられた。講演にてお目にかかったが、小柄な方だった。あの姿の何処に、パワーがあったのか。人間の生きざまを見せて貰った。昨年の緒方貞子さんに続き、実に惜しい方を失くした。人間は生身であるから、寿命でもあるのだろうけれど。

 Aさんちに寄り、水を分けて貰い帰宅する。仕事を辞めても、命の源の水は欠かせない。Aさんちの水は、夏に冷たく冬に温かい。珈琲も枇杷葉茶も、この水が無くては飲めない。有難いことこの上なく、親切に甘えて分けて貰っている。上下水道は不味いので、洗い物や洗濯には使うが、お米を炊くのもこの水でなくては臭いが強い。香料にも難儀。

 小さいすばるは、膝まで飛び上がれない。じっと下を見ているのは、何かが居るからで、右手をちょちょい。

 
コメント
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