枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

如月、八せん終り

2020年03月21日 | Weblog
 じっとしていても汗ばむ気温に、暖房はスイッチを切る。窓も網戸にしてしまうが、風が温かいので気づかない。感染予防の関係で、2時間おきの換気だが心地よさが先になる。後輩の介助が出来ていないのでさせる訳にはいかなくて、移乗をしたり介護に入る。他にも茶碗等の洗い物もあって、息つく暇もない有り様に、しんどくて思わず座り込む。

 洗濯物を頼めば、伸ばして干すこともしないし、洗い物も食器に食べこぼしが残っている。介護と言えば怪我はさせる、移乗ができない。掃除ですら満足にはしない。見守りも寄り添いさえで、何時もの倍は動くことになる。若ければ何と言うこともない業務が、重労働に悲鳴を上げてしまうが、自分の都合を言うてはおれないので、何とか踏ん張る。

 業務を終え、ヨタヨタのボロボロで帰宅する。最近、体調が良くないのも、介護の重労働に一因がある。然しながら、勤めている以上は、業務を熟して行かねばならない。最後の仕事に選んだのも自分である。工夫してしなければ何も出来ない。相手の気持ちに寄り添っての行動で、可能なことをすればいい。同情されるのも辛いし、働く意欲が消える。

 彼岸中はお天気が続くのか。このところの上天気に花も綻んでしまう。ヒアシンスもアネモネも咲き、海棠が風に揺れる。通草が新芽を出して来た。蔓をまとめて絡ませた。野生の植物も、様々な条件での発芽であろう。昨年には、実が一つだけだったが、今年はどうだろう。花は咲けどもで、まさか生っているとは思わずだった。期待せぬ方がいいのか。

 金星が、東方最大離角であるが、マイナス4.5等星である。あの素晴らしい輝きに、魅了されない者が居ようか?この美しさをヴィーナスと呼ぶのも納得できる。月のセレネは、控えめな輝きがある。どちらも美しさは比較にならぬが、金といぶし銀の差であろうか。ギリシャ神話の神々の活躍に心躍る。肉眼でもはっきり観えているので、西天を観あげて。

 星に想いを懸けるなら、プレアデスかアンドロメダか。いえ言え、そんなことよりも先ずは宇宙を観て。

 
コメント
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