枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

新暦との違いも・・・

2020年07月01日 | Weblog
 7月にはなったが、文月ではないので念のため。今年は、旧暦での閏卯月が入っている。加えて閏年でもあるので、従来は明日が半夏生なのが、本日に繰り上げされている。これと並行して、潮の満干潮や月の満ち欠けにも影響が大きい。毎日新聞連載の歴史小説、額田王を書いた話に興味深い。饒田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今漕ぎ出でな。あの有名な詠である。

 単なるうたとしか思えないかも知れない。古人の情景描写には自然そのものがあり、その時代であるからこその景色でもある。七夕も、旧暦での逢瀬を言うのであって、間違っても今月のことではない。天の川楫の音聞ゆ彦星と織女と今夕逢ふらしも 彦星と織女と今夜逢ふ天の河門に波立つなゆめ 万葉集を読んでいれば季節も解かって来る。文月は8月19日からになります。

 歴史小説の史実を知ろうとすれば、必ず旧暦を充てて読み進まないと設定に無理が生じる。葉室麟さんは、その意味でも熟知されていて面白かった。宮城谷昌光さんの新三河物語も、季節描写が素晴らしかった。最近の駆け出しが知らなさすぎるのか、担当の編集者が無知なのか、言葉の羅列だけで書いている物が多くなっている。分野は何であれ、基本は変わることはない。

 童謡にも、卯の花の匂う垣根に時鳥早も来鳴きてや、ゆりかごの上に枇杷の実が揺れるよにも、夏が来れば思い出すの歌詞にも、その季節でしか見えない景色がある。それを知ろうともしないでいたり、異なった解釈をされているのに唖然とする。まあ何も、こうでないといけないという強制はない。季節が異常になっている現状では、無理のないこととも思えるがわだかまる。

 フクシマ事故と東京オリンピックを読む。これは馬鹿の極みである。オリンピックでの儲けを企み、閣僚の繋がりでたんまり良い目をしようと目論んでいる。消費税を10%にして、ガソリンはそれに上乗せに、支給したり復興には嘘ばかりで、丸投げをして責任も何もないと白を切る。全部トップの責任であるし、個人的な思惑の基に遣っていることだろう。騙されないからね。

 テレビを観ないので情勢は遅いが、府知事を辞めてテレビに出演し、言いたい放大であるのは可笑しい。何で府知事時代に遣らなかったのでしょう?強硬さでは誰にも負けなかったのに、嘘も方便なのか。維新とは名ばかりで、饒舌に巻き込んでしまっている。言葉巧みに言い包める方法というのは、弁護士の資質故なのか。蟻の穴から堤防は崩壊する。自然には勝てないです。

 昨日一日湿った空気に溢れていたが、本日は青天のそらである。床が湿気ているのを幸い、空雑巾を何度も掛けた。新建材は湿気を含むと浮き出るので、掃除には雑巾で対処する。窓拭きもしたかったが、足湯に来ていたため諦めた。マッサージをしていて眠ったが、気力を使うので疲れるのだ。してもらう方はのんびりとではある。気持ちよさそうに軽い鼾も聴こえて笑った。

 昔も今も、月の存在は変わりません。人間の身体に、生き物の全てに影響を与える。生命の誕生には無くてはならずだ。
 
 
コメント
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