枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

土用・皐月・大潮、八せん終り

2020年07月19日 | Weblog
 土用も、夏だけでなく四季にあるのですが、暦を気にしないと分からない。それにしても、コロナは終息どころか拡散する一方であり、その中での無茶苦茶の施策には、お手上げ状態となる。これって、子どもでも判ることでしょう?大の大人が献金目的のパーティーを開き、人数制限しているからいいんだと嘯くが嘆かわしい。余りにも腹が立つので、怒りを治めるべく沢田研二さんを。

 草抜きを昨夕やっと済ませた。最初は藪蚊に攻撃されたが、ハッカ水を首やら足に腕に塗ったのが効いたか刺されなかった。室内に入って直ぐに着替え枇杷湯に浸かる。思ったよりも手強くなっていたので、2時間弱掛かった。半分で止めようかとも思わないでもなかったが、後日する気も失せて遣り遂げた。お腹は空いていたが汗ばんで、先に枇杷湯にした。塩で身体を擦りさっぱり。

 朝刊を読んでいて一般論ではあろうと思うが、認知症状を治す治療と言うのに引っ掛かる。個人的には、医者に罹る気も薬を呑むのも厭なので、病院受診はしないと決めている。それ以前の対策をしている者として、何となく納得できない。白黒も大多数を民主主義と言うなら負ける。然しながら、例え小数であろうとも気持ちがそぐわない。違うんだなぁ…介護保険等任意にしてくれ。

 国の施策で遣っているんだから、勝手は許されない従えという強制は、一体何を根拠にあるのだろう?主治医を持っておけとか、お薬手帳も作りましょうと言うが、それは何の誰の為なの。薬を受け付けない体質もあることを知って欲しい。自然療法が身体的にも、精神的・肉体的にも好いと実行している。これ以上の治療法はないのです。可笑しな世の中ね。自由には己が責任も有。

 沢田研二さんの声は、やっぱり佳いなぁ・・・。本日は、昨日買って来た茗荷を甘酢に漬けているので寿しを。ご飯を仕掛けておく。珈琲二杯目をカップに注いで椅子に。すばるも飼い主に馴染んで趣味の域を納得している。観葉植物が寒さに弱いので、冷房が直接当たらない工夫をしているが、設定温度は高めとして人間が衣類での調整に努める。自粛と言うか自宅待機なので。

 先日片付けをしながら出没したお茶の類。枇杷葉にするまでには試行錯誤もあったし、あれもこれもと買い込んでいたのが大量に。捨てるのも勿体ないと、枇杷葉茶に淹れて飲むことにした。香りは少々落ちるようだが、死にゃしないだろう。確率的に死期に向かっているんだから、そこは考慮する必要があるのだが。まあ、その時はそれまでで。臓器は枇杷葉茶ですこぶる綺麗です。

 年金だけの暮しをしたいと望んでいるのを、様々に強引に引く。それじゃ、棲む所を立ち退けと言っているようなものだろう。身体がある以上、雨露は凌ぎたいと最低限の権利を主張しても、金を払わないと駄目だとすげない。無駄な物は厭ですと話しているのに、お役所考えを改めない。独りでの暮らしを命の限りしていこうとする者に冷たい仕打ち。特に性別への嫌がらせか?

 人間の肉体は神が与えてくれた物であるのか?それは滅ぶる物であり、新たに命を吹き込まれれば、他で生きることにも。
コメント
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