枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

孤立させてる・・・

2020年07月31日 | Weblog
 弁当を作って届け帰宅する。本日の予定はこれだけであるが、本を読みたいので他には要れてない。青空が広がってはいるが雲の厚いのが天を覆っている。昨日のように夕立があるかも、三日続くというからなぁ…気温が上昇しているので冷房の温度を29℃にして窓を開け換気する。すばるは留守中出窓に居て外の様子を眺めていたが、飼い主の帰宅でパソコンの部屋に移動。

 何処に行っていたんら?弁当配達です、直ぐに帰って来たでしょう。と抱き上げると満足した。餌も全部食べず猫分けである。枇杷葉にウンカが、通草にもさばっているのだが、農薬をしないので蝉迄訪問中であるのにびっくり。抜け殻は枇杷葉に沢山あって、地中から這い出ているのは知っているものの、最近は鳴き声が小さいのかしないのか。耳の中では何時も聴こえているのだが。

 身体が動かなくなったら、誰しも死を考えてしまうのは精神的なことに思える。然し、金を受け取っての殺人は違う。本人の希望とは言え、傾聴していくことに因り或いは気持ちも変化するだろう。それが医者の役目であり、回りで拘っていく方々の支えであり援けでもある。親に言えなくても…でも相談した相手が悪かったら、願いなのかどうかは別にして、金銭的な解決方法に奔る。

 誰も責められない。でも、亡くなった命が惜しまれる。出来得るなら、わたくしの身体と換えてあげたかった。それが生体移植になるのか、臓器提供になるかは不明だが、あれだけの方が生きたいと思うなら代わってあげれるならと。もし交通事故で何かあれば、わたくしの身体を使えるようには申請していて、枇杷葉のお陰で角膜を始めとして、臓器はとびっきりの状態なので。

 枇杷葉生活をしていると、ちょっとしたことなら我慢できるし、体調に合わせてドクダミや刀豆・通草を加え、イタドリでの施行で済むのも有難いもの。一応背筋を伸ばして歩け、体型が略変わらないので、外見は年齢よりも若く見えてしまう。広告に惑わされないようにしているので、自分の信じる薬草しか飲まない。それに無農薬での作物を求め、旬の物を頂くように気をつけて。

 一朝一夕にこういった暮らしになったのではなく、紆余屈折の結果でもあり、努力を惜しまず挫けそうな心を奮い立たせてきた。人は支え合って生きていけるものと思いはするが、それは自分都合であり決して相手のことを優先してではない。勤務していた時に何かとしていても、餞別さえ惜しむ者どもに厭きれた。他人を頼る心算はさらさらないが、してもらって当たり前とは。

 個人的には莫迦らしくても、相手の望むことをしておき業務が滞らなければ良し。としんどい身体を引きずっても遣っていたが、精神的にも肉体的にも疲労困憊となった。でもそれを誰かのせいには出来ない。働くという事の意味は返せば給料を貰うことでもあるから。狡く適当に調子を合わせて遣っていればいいのだ。それができないと壊れてしまう。誰も援けてはくれないのだ。

 枇杷葉の花芽が咲き出して来ると、身体中をやさしい香りが包み込む。この清々しさにどれだけ救われてきたことだろうか。

 

 
コメント
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