枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

梅雨でもあるので・・・

2020年07月09日 | Weblog
 昨日の時点では、市内まで行こうかどうしようかと悩み、夕方やっと決断して今朝段取りを考える。曇りであり未だ雨は降りそうだ。鶯が子育てに忙しそう。早朝には何事か!と思う程の囀りで、時鳥やらヒヨドリの鳴き声で起こされる。時計代わりになっていいのだが、余りの賑やかさに閉口する。野鳥は、子どもの頃には焼き鳥であった.。

 弁当を届けてそのまま駅に向かう。折よく接続の電車があって乗り、車内も空いていて座れる。駅に着いて目的の場所に行き、支払いを済ませて荷物を受け取り、Uターンをして帰る。駅で本屋に寄ろうとしたが、閉鎖中で無駄足だった。食事処もどうなのかが不明で、電車の時間が直ぐであったので乗る。帰宅したら昼であったのも安堵だ。

 食欲も余りなく抜こうかとも思ったが、弁当の残りがあるので素麺を茹でる。すばるは、箪笥の上で寝ていたらしい。呼ぶと姿を見せた。その後は網戸にしたので出窓に移動した。餌も枇杷葉茶もたっぷり容れてあるから腹が空けば出て来る。飼い主に甘えるのは、トイレの床替えの催促もある。着替えて洗濯し終え安堵する。青空は雲が多い。

 桔梗が庭の片隅で涼やかに咲いている。紫と白があるが、今のところは紫が先だ。林檎の花は咲いたが結実には至らず。先日出窓から風で落下した鉢は、何とか付いたようだが安心はできない。今が夏でよかったよ。何でもかんでも窓に置くのは好いが、風の勢いにまでは気が回らなかった。だから自然には逆らえないのである。元気になって。

 年金暮らしになっても、旧暦のカレンダーと暦は買う。新聞も購読したい。テレビを観ないが情報はパソコンから入ってくる。従って、新聞もそこで見ることは出来るが、どうも紙でないと落ち着かない。華氏451度だ。書籍の殆どは図書館から借り、どうしても必要なら買うが失くても命には拘わらない。死んだら子ども等は多さに仰天だ。

 終活が中々出来ないのも、書籍の類や趣味の多さに頭が痛い。おおっ、枇杷葉の生葉を貼っておこう。現代農業の先月号に、腰痛や頭痛に蓬の葉が効くとあったが、枇杷葉も効果が大きい。個人的には、枇杷葉さえあれば症状に応じて対応できるので重宝。仕事を辞めた時点で、保険にも入らない。介護保険は強制的に徴収されるのが迷惑だ。

 身体中の血管の動き・働きを促し綺麗に保ち・身体を冷やさないようにする。これに食材の生姜や蒟蒻の応用も好い。野菜も旬の物を使い、季節に因っては工夫を惜しまない。胡瓜やトマトは夏の物。茄は秋口までとし、その時期に採れる物での献立を考える。コロナに打ち勝つ体力作りには、免疫にも抗体にもなってくれる食材で対応したい。

 料理を全くしないで、その他のことにも無頓着なら、それは親としてどうかな?とも思えるが、個々の性格や考え方にも、況してや年代や環境の影響のも因ることがある。わたくしだって、横着をすることも手抜きもします。体調不良の時があるからね。でも、基本は外食をしたりすれば経費がついていかない。自分で出来ることはやっている。

 〇〇のくせに。という言い方には如何せん腹が立つ。其処には女のくせにとか、相手を見下す言い方があって、何を根拠にしているのかが不明だが、明らかなのは侮蔑や差別でもあることが多い。幾ら頭が良く勉強が出来ても、相手のことを慮り自分のことよりもという態度ではない。そういう人は初めから言わない。何処が民主主義なんだ?

 初秋になりかかると、蒲団を探して居場所を固定する。出窓に居るのは朝の内で、その後は風の抜けない場所に。
 

 
コメント
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