枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

皐月、望・大潮

2020年07月05日 | Weblog
 九州の被害が甚大になったのは、月が満月に近づき、大潮と重なったからだが、こういう自然の摂理を生かしての避難をしなかった事には、他人の言うことに頼り過ぎている帰来がある。水害氾濫の要因が分かっているのに、対策を怠って来たからか?厭々、重点的にはしていても、自然からの警告を見極め、そういった場所に家屋を建てないことも大切なこと。

 古来より、その場所に定住していれば、どういった時にどうなるかの判断や知識にも長けよう。慣れとしか思えない。河があることは肥沃な土を生かしての作物が取れる。半面、これ位と思っての普段からの対策を怠っていると、積り積もっての堆積が命取りに変わる。河を汚さないように気をつけ、自分での清掃にも力を注いでいれば異常に速く気づくものだ。

 川は、上流から下流に流れる。自分達さえ綺麗な所に住めばいいのではない。沢山の命への賛歌も心して使わせて貰うことだと思える。莫迦丁寧に〇〇させていただく等の言葉より、行動で示して欲しい。日本語も間違った使い方ばかりだ。人間としてのしなければならないこと、してはいけないことの区別も分からず、あやふやな言葉を連ねる。蟻の穴から決壊!

 日曜日は仕事を辞めてもゆっくりしたい。廃品回収の用意は前日にしていたが、空模様が気になって起きたら眠れない。曇り空ではあるが降ってはいないので、回収に来たようだ。購読の新聞とネット注文の空き箱多数、カタログ雑誌の類を片付けたら、居間が広くなって涼しい。部屋の大部分を占めているのが書籍である。これは著作者のサインのため捨てられない。

 それも亡くなられており二度とはしてもらえない。古本屋では二束三文の値打ちらしい。手塚治虫氏の初版本はともかく、書籍に関しては期待できない。わたくしが死んだら、図書館への寄贈を言っているが、目録が必要かもしれないな。おおっ、沢田研二さんのDVDはどうしよう…。持って逝けるものならそうしたい処だ。すばる共々捨てられる。難問でもあるなぁ。

 一昨日、李と一緒に買って来た蕗を、茹でて甘酢にしておいた。今朝、やはり寿しにしようとご飯を仕掛けた。青紫蘇は採ったのがあり、買い置きの味付け椎茸を混ぜて作る。茗荷は、甘酢にして保存してあるのでそれも入れる。夜勤者への差仕入れとして持って行く。恩師にも届けて置こうと出掛けた。道中、合歓の花が咲いて曇り空を彩る。紫陽花も今が盛りか。

 ジュリーの頃の沢田研二さんは、寅二郎に出演されていた相手役の田中裕子さんの台詞のように、恰好好過ぎてからかっているのか?と思えるので、ちょっと後ろに退くのだ。ジュリー祭りの頃の沢田研二さんは人間味があって素敵である。兎角、することが全部注目されるので姦しいだけで、それらのことを含めて、本人ではあるのだ。肥っていて何が悪いんだよ。

 昨夜は、星がちらほらとしか観えなかった。木星が-2.8で土星-0.1の素晴らしさにも注目。さそり座の傍です。金星は明け方最大光度。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする