枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

新盆、下弦・小潮

2020年07月13日 | Weblog
 寒いので暖房にしてます。気分的にも鬱になりそうで、沢田研二さんのCDを聴く。わたくしだけなのかは疑問だが、これが心地好くてまるで子守り唄のようなのです。で、転寝をしてしまう。ファンの皆さんには大変に申し訳ない。コンサートに行った時にも歌が聴きたくて出向くが、総立ちになって騒ぐので聴けない。自宅での独り鑑賞だと、思う存分に愉しめて好いのもうれしい。

 今年は、全公演が中止になっており、そのショックは生半可ではない。でも、強硬に行って何かあれば、大々的に報じられて立場上困窮する沢田研二さんを見たくはない。せめて、買ってあるCDやDVDで愉しもう。然し、ネットでの購買にはとんでもない価格になっている。そこまでのファンでもないので諦める。我慢していればきっと佳いこともあろう。夢では遇いに行けるのだ。

 免許更新はしたが、地元の警察署なので来月にならないと受け取れない。雨の中を何かしようとすれば片付けだが、探し物は出て来ない。その代わりにごちゃごちゃとした物が大量に出て、それを捨てたり、保管し直す作業が多い。孫等が小さかった時には、何かと持って来て置いて行った。これが捨て切れないので困る。シャーロックホームズの冒険の途中を探しているのですが。

 カレンダーの裏は再生紙として使うので取ってある。落書きに丁度良い。資質も悪くないし、何よりも大きいのが好い。孫等もこれに沢山描いては大満足であった。今は、メモ用紙にするべく小さく切っている。捨てれば塵になり、工夫すれば楽しみに変わる。で。円筒の段ボールを千代紙を貼って、テープを巻き付けて、すばるの玩具を作った。今朝戯れているのを見つけて微笑む。

 ラップの芯も、鳴子踊りに活用した。中に音が出る物を入れて両脇を塞ぐ。その時、短冊に切った布か紙を付けると、振ると揺れる。全体を包装紙か色紙やホイルで包むと綺麗。夜行性のテープを処どころに貼り付けると煌く。何も踊りにだけ使わなくても、子どもの玩具にも出来る。唯ね、手先が器用であることも、閃きもないと遣らされる感が強い。介護施設勤務時に作ったけど。

 総菜は、作れればやればいいし、出来合いを買うのも、それを自分なりにアレンジするのも自由です。〇〇のくせにや〇〇だからという言い方には悲しい。人類は多種多様でこそ生かされる。皆が同じであったなら、ロボットでしょう。アシモフの我はロボットを読めば、そのロボットにも心が存在する可能性も起こり得る。製造工程で何かが原因で生じたことで欠陥品となるのだが。

 個人的な想いで言っていても、受け取り方で微妙に異なってくることもある。言葉は癒しや慰めにも、時として凶器に転じることも起こる。その一言で心が折れてしまい、死への路にしか進めない人も出る。皆が正しく清く正直に生きていれば、棲み良い世界が訪れるのだろうか?ゴースト・ドラムは衝撃的だった。何時の世も、諍いなく平和で自由な世界があることを願い祈るばかり。

 沖縄の人々も、北海道の方々にも共通して思えることは、差別をし続けてきたことも、勝手に土地を取り上げたことにも触れず、今尚戦後を引きずっていること。コタンの口笛 銀のしずく 深く胸を打たれる。それをしているのは、紛れもないわたくし達なのです。差別は無くならない。表面上には何等していないという姿で居ても、心の中では舌を出している。偉い人の基準は何。

 今は枯れてしまった深紅の薔薇。匂いも微妙で、天気と曇りと雨の日で変わる。化粧水にしようと花弁を採った。やさしい香り。
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