枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

晴れの日が、天赦・中潮

2022年06月10日 | Weblog
 梅雨入りが明日なので、朝には空を見上げるが当地は晴れが多い。この分だと水遣りが案じられて、庭の徘徊時にはペットボトルに汲んでいるのを間に合わす。薔薇の挿し木やベゴニアを挿し芽にしたのも、今の処は枯れていないのに安堵。観葉植物も新芽を予め花瓶で挿したのを、根が出てきたら植えこむ。我が家にやって来てくれたのと感謝で、不思議と命の復活がある。

 毎朝、枇杷葉茶の残ったのを注ぐ。入れ換え時のもあり、感謝の気持ちと共に声掛けをしている。有難いことに向こうからのささやきも聴こえて、発芽するのもうれしいものです。桑の実も熟れて自然落下するのを口にするが、一人では食べ切れず。蚕の餌である桑は葉も実も小振りなのだが、苗木を買ったので親指大だ。剪定も毎年のようにしているが、鈴生りなのです。

 枇杷の袋をそっと外して見たら、未だ青いわ。他所んちのは、黄色から熟れているのが走行時に見えるが中旬過ぎかな?ジュメさん・hiroさん、もう少し待っていてね。朝採りで必ずお送りしますので、暫くの猶予を。昨年には食べ切れなくてリエさんや勤務先まで送り付け、欲しいと謂われる方にもお分けした。見てくれは然程ではないが、味は甘いとの自信があるのよ。

 他にも贈って上げたい方がいるのだが、何分こちらの押し付けなのでご迷惑にも成り兼ねない。一度送料までを持って送ったが、雑な扱いに意気消沈したもの。世の中皆がみな、わたくしの想いが素直に届くとは限らない。波動で感じるのを存じないからだが、形から入るから心がお座成りになるの。そこの処が理解不能では、贈った物の価値が半減するし効き目も薄れます。

 地球は人間だけのものではない 西村真琴という人物は、今わたくしが知り得たいことを教えてくれる。こんな素晴らしく凄い方が居たとは。毎日新聞とも縁があり、私欲の為ではなく地球にかけた情熱に感服するばかりです。記憶の彼方にあるのだが、強烈には覚えていない。唯、マリモの記事は朧気に甦る。阿寒湖のマリモが、死滅と報じていたのは片隅にあったもの。
コメント (4)
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