枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

心は柔軟に、想いは不偏

2023年09月22日 | Weblog
 黄河、沢田研二さん関連のを捜していたら辿り着いた。テレビは二十年近く観ていなく、NHKにも受信料で躓いた。ゆりかごの歌を聴いていたら、PCの右側に並んでいたのを何気にクリック。満州事変の前からなのと、歴史への興味を駆り立てられたのも確か。学校では教えてくれなった事実も隠れ、学びも多いわ。

 ソ連に中国や韓国と騒がしいが、何処の国も自国を守る気持ちに変わりはないのも事実だろう。それが報道に因るのか、受け取り方かは定かではないものの同じ人間・人類には相違ない。なのに何故に敵対視し事を荒立て争うのか?その前に、地球は誰の物でもなく況してや我々の持ち物でもないことに気づきたい。

 領地を分け、境界線を張って国に仕立て権力を誇示する為に植民地としてきた。それらが正しいかは別として諍いを望む者は、国民の総てではない。その頂点たる国連が、差別せず平和へと舵を切らないでどうするのだ。誰が何を?神の御言葉ではあるまい、森羅万象はそのようなことを告げてはおらず事実を曲げる。

 枇杷葉の生葉が、夏の猛暑と酷暑に喘ぎながらも雨に一安心している。徘徊時に見れば、虫の齧った痕や新芽のしな垂れも目立つ。気温の低下には彼岸になっても未だ及ばずだが、立ち直ってくれたことに感謝する。今年は波乱な気運を孕む年で、想定さ確実に愕然。369の数字を頻回に視てしまい、鳥肌が立つ想い。

 昨日までの曇りから晴れて来たが、夜間の宙はどうかなぁ。出不精の特典は、自宅周辺での趣味に高じることで満足している。誰かとつるんでの外出は苦手で苦痛、静かな環境に不満なく過せていられる有難さでもあるわ。今まで散々自分の意思を抑えて生きてきたから、自由と自己責任なのもうれしくて愉しめるの。
コメント (2)
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