枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

未知は果て無く・・・

2023年09月04日 | Weblog
 宮部みゆき・青瓜不動は、三島屋変調百物語九之続となっている。自然がもたらせる風土・附記には、特徴が伺え物語と織られていく。土の資質には、粘土や砂に金気を含むこともあり作物への影響が大きい。それを生き物に例えての暮らし向きと重ねては、歴史を行き交う。御伽草子に、見る覚束なさも大きく関わる。

 作者の単なる思い付きではなく、丹念に調べ会得してのことと物語を読み進める。文章も余計な言葉が無いので、虜になって時を忘れ眠気も飛び去ってしまう。書かれていることの中には、自らが知りたく思える事柄が含まれていて謎でも有る。宇宙である処の神が、必要とするなら授けてくれるものと受け取っている。

 今朝は、意図せぬことだが誰かが傍にいると察した。無論のこと、枇杷葉繋がりなのだが触られた温かさに想える処がある。お礼を伝えにおいでだと解釈しているのは、その方と我が家の枇杷葉が通じてと感じるの。丁度息を引き取られる寸前には、弥勒の数字も視た。その日は望、曇りから一転して宙には月が現れた。

 我が家の上空には、宇宙との繋がりがあり白龍も棲まう空間だ。それを信じての者には、恩恵が与えられる。どんなに遠く離れていても、意思の疎通は疑えない事実。昨日もそういう事象が起きて、涙が止まらなかった。時は流れ決して留まらず、支流から本流へと渦を巻き続ける。汝の敵を愛せよ、今正に原点へ還る。

 日々の糧を与えて下さり、心を安寧に保てる如く精進せよと諫める。魔を孕むと、心の結界が外れた時となり停められぬ事態を引き起こす。これまでに書かれてきた寓話や童話にもあり、真実を見極めたい。人間の業は、美しさも清らかささえ失せさせてしまう。その時にならぬと気づかず、傲慢を忖度し続けるのかも。
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