枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

時代は還る・・・

2018年08月21日 | Weblog

 人間が人間を殺めるには、理由があった。支配下に置かれ、殺さなければ殺される。自分が生きていくには、意志とは反対のことにも、従うほかはない。アーサーが、キング・アーサーと呼ばれたのは、円卓の騎士らの結束にも依るが、逆らえないことや、権力と宗教とに縛られてもいた。人間は神の僕。

 騎士は言う。祈っていても助けてはくれないぜ。だが今の世はどうだろう。テレビでは刑事物が氾濫し、手口はそこから真似る。宮部みゆきさんの、模倣犯ではないが、小狡くて執着心の塊のような犯罪が目立つ。日本が豊かになったことは喜ばしいが、贅沢さとは違うのを、取り違えている者が多いな。

 誰でもよかった。と言って殺すが、自分が死ねばいいのだ。人間としての価値があるかどうか等、不問であろう。義務教育は止む無くかも知れぬが、高校は自分の意志だ。勉強が嫌いなのは、同じであるのを、目的があったり、興味を抱き学ぶことにも依るだろう。社会に出てから、賃金を貰う過程だよ。

 義務も責任もないのか?生まれたのは偶然ではない。1億分の確率を、競って誕生したことに感謝しよう。産んでもらったことにも、育ててもらったことにも。そういったことに日々気づき、親を敬うことこそ大切だ。同時に人間としての成長を遂げたい。過ちを許せる心には、人間として努力の賜物が。

 然しながら、そういった気持ちが欠けることも少なくない。絶えず試練が待っており、寛大な心に成れない場合にも遭遇する。それが人間である証拠かもしれない。法律が守ってくれ、判断するとはいえ、生身の人間が決める。法の下に平等と言うのは何を以てだろうか?沖縄の土地は、沖縄の人等の物だ。

 原発稼働は何のためにするか。核を維持することの意味には、何も残らない。負の遺産を残すだけで、保存すら長期に亘るが、安全の保障は皆無なのだ。人類が最大の過ちをしたなら、回避できる方法がある筈なのに、野晒しで放置されるばかりか、放射線からの恐怖が消えない。空気に雨に、水に土に残。

 わたくしたちが平和で暮らせることには、戦争で命を落とされた、多くの犠牲があるのだ。原爆投下で、一瞬に命を奪われた方や、今尚後遺症に苦しむ人等の命があるのだ。沖縄の基地問題には、人間の心を分けてしまう恐怖もある。何れも、自分の痛みとして考えていきたい。平和には、等しく自由がある。

 3月生まれ。我が家には5月にやって来た。排泄はきちんとしており、最初から枇杷葉茶を飲ませる。


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