玄関の梅も、ほぼ満開になりました。何処となく、風が温んで感じられます。鶯の声は、まだか細いか、寒さにじっと目を閉じているかでしょうね。道端の草花は霜の露を輝かせて咲いています。
蓬も新芽を伸ばしてて、草餅が食べたくなった。祖母は、お雛様の雛餅を、緑は蓬で作り、赤いのは紅花でしていたような記憶がある。黄色は梔子である。色粉ですれば簡単ではあるが、田畑の畦を鎌を片手に探して歩き、笊にたくさん採って来る。
そうして裏の湧き水できれいに洗い、湯がいて餅に入れ、杵で潰して餅に仕上げてくれたっけ。お正月用の餅搗きや、小正月のは父が搗いたが、普段には、母と二人で難なくしていた。子どもにとっては、腹が減って、食べたくなるのはその時だから、祖母は手伝わせはしたが、待たせることをしなかった。
あの時代に、米を作ることは並大抵ではなかった。機械があるとはいっても、みな手作業が主体である。しかも力仕事の大半を、女達がしていた。学校へは行けても、勉強をしなければならず、家に帰れば、手伝いが当たり前であった。ずる休みなど、しようものなら、田んぼに連れて行かれるのが落ちだった。
なんだかなあぁ、青い空の下では、まだるっこくて、ゆっくりと時が経っているようだったよ。擦り傷、切り傷はしょっちゅうで、打ち身や捻挫もやっていた。けれども祖母はいつも、何がしかの方法で手当をしてくれて、病気らしいものはしなかった。
医者ともあまり付き合いはない。その点、兄はひ弱で、大事にされ、医者にばかりかかっていた。今は、どっちがよかったかわからないね。
祖母は、ねばり強く、機転の利く性格で、公明正大であったため、の中では信頼を置かれていた。努力と工夫を怠らない人であった。戦争で殺された息子を、生きて返してくれ、と声を殺して泣いていた。
私は小さかったが、今もはっきり覚えている。気丈な祖母が、金杯を町長からもらうのが、息子が靖国神社に祀られると通知が来た時、出掛けに何事かがあって、急遽父が代理で行った。
祖母は、黒の紋付、羽織を着たままで、座敷にじっと座って、静かに泣いていたのだ。閉めた襖の隙間から、かい間見た祖母は、哀れな一人の母親であった。
百姓が辛いとも言わず、何をするのも面倒がらず、人の2倍も3倍も働き続け、死ぬ間際まで、田畑を気にかけていた。昔の人は、皆がみな、天地人であった。
枇杷の苗。四国のみやげです。食べた後の種だけもらいました。東側に、鉢で置いています。ここは道路と川との境にあり、フェンスで囲ってある。
我が家では、ここを使って、蔦を絡ませ、バラを這わせて、泥棒避けにしています。車道でもあるので、目隠しにもなっています。
枇杷の苗は、なんと双子でした。種は一つでしたから一卵性双生児でしょう。
蓬も新芽を伸ばしてて、草餅が食べたくなった。祖母は、お雛様の雛餅を、緑は蓬で作り、赤いのは紅花でしていたような記憶がある。黄色は梔子である。色粉ですれば簡単ではあるが、田畑の畦を鎌を片手に探して歩き、笊にたくさん採って来る。
そうして裏の湧き水できれいに洗い、湯がいて餅に入れ、杵で潰して餅に仕上げてくれたっけ。お正月用の餅搗きや、小正月のは父が搗いたが、普段には、母と二人で難なくしていた。子どもにとっては、腹が減って、食べたくなるのはその時だから、祖母は手伝わせはしたが、待たせることをしなかった。
あの時代に、米を作ることは並大抵ではなかった。機械があるとはいっても、みな手作業が主体である。しかも力仕事の大半を、女達がしていた。学校へは行けても、勉強をしなければならず、家に帰れば、手伝いが当たり前であった。ずる休みなど、しようものなら、田んぼに連れて行かれるのが落ちだった。
なんだかなあぁ、青い空の下では、まだるっこくて、ゆっくりと時が経っているようだったよ。擦り傷、切り傷はしょっちゅうで、打ち身や捻挫もやっていた。けれども祖母はいつも、何がしかの方法で手当をしてくれて、病気らしいものはしなかった。
医者ともあまり付き合いはない。その点、兄はひ弱で、大事にされ、医者にばかりかかっていた。今は、どっちがよかったかわからないね。
祖母は、ねばり強く、機転の利く性格で、公明正大であったため、の中では信頼を置かれていた。努力と工夫を怠らない人であった。戦争で殺された息子を、生きて返してくれ、と声を殺して泣いていた。
私は小さかったが、今もはっきり覚えている。気丈な祖母が、金杯を町長からもらうのが、息子が靖国神社に祀られると通知が来た時、出掛けに何事かがあって、急遽父が代理で行った。
祖母は、黒の紋付、羽織を着たままで、座敷にじっと座って、静かに泣いていたのだ。閉めた襖の隙間から、かい間見た祖母は、哀れな一人の母親であった。
百姓が辛いとも言わず、何をするのも面倒がらず、人の2倍も3倍も働き続け、死ぬ間際まで、田畑を気にかけていた。昔の人は、皆がみな、天地人であった。
枇杷の苗。四国のみやげです。食べた後の種だけもらいました。東側に、鉢で置いています。ここは道路と川との境にあり、フェンスで囲ってある。
我が家では、ここを使って、蔦を絡ませ、バラを這わせて、泥棒避けにしています。車道でもあるので、目隠しにもなっています。
枇杷の苗は、なんと双子でした。種は一つでしたから一卵性双生児でしょう。
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