枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

密やかな愉しみ

2019年08月11日 | Weblog

 子ども等が、未だ小学生だった頃には、近くの天文台に通い、天体ショーが観られる時には、泊りがけで出かけた。生憎の雨に遭遇した時にも、夜半から明け方にかけて、すっかり晴れての観望に、大歓声を上げた。宇宙の、自然の働きには、どんなに高額な金を支払っても、思い通りにはならない。

 今年も、台風が接近の兆しだが、さて、宙の行方はどう出るか?密やかな愉しみでもある。加えて、ギリシャ神話の、天馬ペガサス、ペルセウス王子、アンドロメダ姫、カシオペア王妃にケフェウス王の都エチオピア王家。ペルセウス王子の冒険で、登場する数々の化け物達。壮大な宇宙叙事詩魅了。

 実写版のもいいが、水野英子氏の、星のたて琴を始めとする、彼女の作品には、至る箇所に煌きの物語を彷彿とさせる。セシリア、セレナの嘆き、ブロードウェイの星、白いトロイカ、グラナダの聖母、こんにちはドクター等、まるで色とりどりの星を散りばめた珠玉の作品ばかり。想像の翼を拡げ。

 山の日も、海の日も制定するのは悪くはないが、自然に感謝する日にすればいい。海も山も、宇宙からの成り立ちであり、環境が悪化すると星は観えない。当たり前のように宇宙を観上げられることこそ、最上の幸せなのだ。風が吹き、太陽が輝き、雨が降ることで、人間の命は保っていることを感謝。

 地球だけが存在しても、命の誕生は無理な事。月の満ち欠けや満干潮の働きがあってこそ、生命は誕生するのだもの。これ程不思議で、未知の世界はない。科学で解明しても尚、未知なる部分には到達しない。けれども何もかもを解明することよりも、不可思議なことがあってもいい。宇宙を観上げる。

 本日の勤務者は最低の数で、本来は不可能な業務である。上司が出勤しているから出来るのであって、ご飯を作ることも、介護の内容的には不可能なこと。一人で二人分の業務等、御免蒙りたい。幾ら、家庭の事情であろうとも、既に組んでいる勤務を出て来ないとは。何もかも全部は手に入らないよ。

 南に向いて繁る枇杷葉は、花芽の付きも多く、葉の色も鮮やかで美しい。燦燦と注ぐ陽に。

 

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さよならの前に・・・

2019年08月10日 | Weblog

 人間は、誰しもが別れを知っている訳ではないが、胸騒ぎがどうにも止まらなく不安を掻き立てる。或いは、夢見で判ることもある。そのどちらにも、然したることはないように思えるが、予知夢と言うか、兆しと言うべきか、後日そうだったのかと想いに至る。まあ、殆どが気づかぬようだが。

 然し、だからと言って告げても、悪戯に動揺させるばかりで、手立てはない。また、悪用される恐れもあるので、知らぬ方がいいこともある。万全を期していても無駄なように、人間の思惑ほど厄介なものはない。せめて逝く者には、心安らかに眠りを与えたいのが心情であろう。言葉には霊が。

 最近、職場では不思議な事が起こっている。人間の土壇場での心構えが、苦境に立った時にはどうなるのかが、面白いほどに現れている。ある者からは、わたくしの言っていたことが、やっと解ったと話され、幾ら好意で注意していても、他人は身内ではないことにも気づく。奇跡は起こるのだ。

 信じることの大切さには、相手を全幅の信頼があるが、微塵も疑うことはできない。或いは、疑うことに因って信頼は崩れ、真実は虚実となる。枇杷葉に頼ろうとするならば、自分自身を信じることにも通じるので、治そうとする気持ちに、援けを呼び込み、疑わないで実行することだ。真実一路。

 それでも、誰でもに枇杷葉の力が効く訳でもない。相互の立場や、信頼関係が実証する。また気紛れに多少の副作用は出る。然し、毒を抜いているのであって、効果が出ていないのではない。諦めず、根気よく続けることと、信じることを止めぬこと。わたくしにはそれしか言えず、本人次第でも。

 病は気からと言い、それ故に病気と書く。くよくよしないこと、為すが儘に過すこと、或いは仲良くして身体を保つこと。何故なら、それだって自分の身体の一部だ。切って取れば哀しみが増す。治療方法もなく、為すすべもない病でも、悟って暮らせばいいように思える。慌てず騒がず生きていく。

 サルビアは花木店で買ったが、例年は、種が零れて発芽しないようにしている。まあ、四季の物として。

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長崎原爆投下の日

2019年08月09日 | Weblog

 残暑お見舞い申し上げます。午前11時過ぎまで自宅で過し、Aさんちに水を分けて貰いに行き、銀行やら郵便局に寄って帰宅した。すばるの餌を買うのが目的なので、道草は避けての往復だ。然し、ハーゲンダッツのアイスには負け、ポイントも付くので買うが、以前にあったのは既に見当らない。

 葉室麟著作には、古今和歌集からの歌が多く出て来るので、図書館で借りる。左足が痺れて歩行困難になる。枇杷葉の生葉を採り、蒟蒻を温めて当てる。冷房は未だ切れないので、人間が我慢するしかない。すばるには好いようだが、飼い主には辛い。然し、湿気が無い分過ごし易いのが有り難い。

 年金の入金の日付が不明のため、車の代金の確認ができない。通知がきてはいるが、意外といい加減な内容でもある。年金の金額は減り、介護保険料は増え、消費税も10%になれば、一体どうやって暮らすのかが問題。保険は使わず、医者には罹らず、車にも乗らない健康な暮らしが身体に好い。

 身体の不調は冷えることが原因で、特に腰や肩、足首は注意が必要だ。夜具に入っても、冷房が効いているので、軽い蒲団で対応したい。足を温めたらよく眠れる。これは赤ん坊に覿面の効果が。年齢を重ねて来ると、逆戻りをするのでやってみたら効いた。寝相の問題もあり、寝付く時だけでも好。

 涼しい環境の中に居ると、快適なことに慣れてしまい、不便さには文句を言うようになる。だが、思考的には拙い。身体は、自然に適応していくもので、工夫と同時に慣れていくものだ。個人的には田舎暮らししか出来ない。枇杷葉に囲まれた場所でしか、生きれないのも確かで、このままが佳い。

 テレビは観ないようにしたし、電話も通じなくてもいいし、不便さがあっても命はもつ。自然に守ってもらえることで、援けてもらえることに通じる。引篭もりではないので、図書館には行く。極力、他人を頼らず、気の向いた暮らしを送ればいい。空気の汚れた、殺伐した場所で生活はできない。

 暁子さんちに、未だ小さかった子ども達を連れてお邪魔したした時、隣家には枇杷葉の樹が。それが飛んで来た。

 

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立秋・上弦・小潮

2019年08月08日 | Weblog

 二十四節気 立秋 暑気強くとも、涼風吹き始め、秋の気配立つと言う意で、立秋と言う。毎年、八月八日頃である。台風のせいかは知らぬが、今朝は起きしな寒かった。秋の気配は早くからあり、蝉と同時に虫も鳴いている。季節も混同してきた。何という不穏な時代であることかと心痛を覚える。

 嘘にも多々あるが、仕事上だと嘘は通じない。正直にしてしまったことを言うか、沈黙を守り通すかであろう。それを、他人のせいにしたり、誤魔化しての言い逃れは良くない。時間を元に出来るならいいが、超能力があっても際どい。嘘をつけば、更に嘘で固めるようになる。結果は無残に己に還。

 入浴時の業務は、言葉かけを行い誘導して、湯船に浸かってもらうことだが、衣類の名前を確認することも大切で、字が薄くなっていたり、綻びもカルテに記載する。また身体の部位の異常にも、充分に気をつけたい。受診等の医療行為もある。冷房で身体が冷えているので、湯船に浸るのは大事だ。

 算盤の日でもある。パチパチ(8・8)だそうだが、算盤の枠は、江戸時代には枇杷で作っていたそうだ。近年になってからは、丈夫な物に変わった。五つ玉の算盤があり、虫喰いであったのを思い出す。電卓の電池が無くても、携帯の充電をしなくてもいいから重宝する。然し、使用方法に問題が有。

 算盤でチャンバラごっこはやったが、真面目に習わなかったので、さて指先が、頭が動かない。引退したら習字と算盤をやってみるかな?枇杷葉の波動をもらい、図書館に通い、今までしなかったことにチャレンジし、命を終えるまで手当てをしたい。身体の冷えには、蒟蒻を温めるのが最善である。

 リエさんからお中元が届く。中旬からイギリスに行くそうだが、歴史が好きなのとは違い、言葉にも食べ物にも馴染めないので、とても気持ちが向きません。アーサー王にもエリザベス1世にも、遭えない迄もすれ違って来たいが、物語の中にだけにしておこう。日本各地にだって行けないのにねぇ…

 個人的には、星の旅なら形振り構わず行く。そうなったら、家は処分して、すばるにも別れをした後で、出掛ける。行く先々で働いて、その日が凌げればいいのだ。枇杷葉がきっと導いてくれるだろう。人間の集まる場所でなく、清らかで静かな環境には、相当の忍耐が生じるから、覚悟の程も必要。

 晩秋の天にすっくりと咲く白薔薇。初夏から暑い時期にも咲くが、秋の薔薇は色が鮮やか。

 

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旧暦・七夕

2019年08月07日 | Weblog

 今年は、旧暦との日にちが、同じかと思えば雨である。この時期には、台風の来るのと重なって、一年に一度の逢瀬も夢と消えたり、無事に逢えたりする。七夕伝説であるので、目くじら立てることも無いが、天の川を境にこと座とおうし座がくっきりと観えるのは圧巻だ。白鳥座も実に素晴らしい。

 星に由って、宇宙への夢をかきたてていくのはいいが、何でもかんでも科学的に証明しようとするのは、間違いではないと思うものの、想像力を膨らませていくには淋しい思い。宇宙怪獣ラモックスには、地球の少年との友情と信頼がある。SFが、何年も前に書かれているとは思えない面白さがある。

 台風の影響で、昨日と今日は水遣り免除だ。天水の有難さには、人工的なものはないので、ほっと胸を撫で下す。自然の恵に感謝しつつ、枯らしてしまう訳にはいかない。鉢物は、少しでも采配が違うと腐ったり、芽が出て来ない。今年の不安定な天気に、祈る日々でもある。カラーは咲かずだった。

 体調も波があるが、左半身の痺れが取れない。神経痛らしいが、冷えからくるものであるのは、冷房の温度が原因。仕事もそろそろ限度かな。収入の伝手はないが、身体の方が大事である。このところ休日には片付けで、ゴキブリとの格闘である。雑巾で綺麗に拭いて、埃も取って、処分もしている。

 思い立ってするので、計画性がないため呑気にしている。問題は書棚である。丁寧に埃を払い、分類していかねばならない。白蟻の工事中にする予定で、有給の申請をしよう。必要のない物は、買わないようにしているが、以前にあるのがバラバラで散らかっている。そうしてみると無駄が多いのだ。

 枇杷葉が、新芽をとんでもない箇所から出している。枝を剪定したら、実に不思議に芽を出していく。自然の不可思議には、驚くことが多い。命の誕生には必ず、月の満ち欠けがあり、潮の関係も重要な事。人間の知っていること等、僅かなことでもある。一握りにもならないことに躍起となっても。

 それよりも、戦争をしたり、自国の損得だけで、相手国を悪しざまに言い、経済を破綻させたりする。挙句に人間の価値観に及んでは悲しい。生きている人間程、恐い者はない。原爆の恐ろしさを認めて、核の保持を止め、国々が手を携えて、新しい未来に向かわなければ、地球は消えてしまうのだ。

 枇杷葉の花芽が咲き出す。今は、生葉が繁って硬くなっていく過程だ。四季折々の風情が。

 

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広島原爆投下の日

2019年08月06日 | Weblog

 その瞬間の閃光に、人々は何を思ったのだろうか?一瞬後には、皮膚はを焼け爛れ、破れ垂れさがり、命をも奪っていった原爆を。降って来た黑い雨を。、言葉もなく、何が起きたのかも知らず、逃げ惑い命を終え、或いは被爆していることにも気づかずで、発症した者に、手当ても出来ずを。

 戦争は何があっても、してはいけない。国と国との諍いにも、話し合いを続けて行けば、必ず解決できるのを、武器を買ってまでやらかすとは。争いを助長させるのは、武器を造って売る者がいるから。加えて、闇の取引が平然と行われているからだ。騙し合い、猜疑を呼び起こして儲ける者。

 原爆の生き証人が、次々と病に倒れていく昨今で、じっと亡くなるのを待っているような、不気味な改憲法案に身震いがする。消費増税にも、庶民の暮し等二の次で、富裕層だけが生活できればいいのだ。戦後のどさくさよりも悪い。そういった者等には、表立った態度では現わさない狡さが。

 これからの時代を生きていくのは、苦難の道しかないが、工夫と閃きでやるしかないな、とため息が出る。冷暖房の掃除に、枇杷葉茶を使って遣ると、アレルギー反応が少ない。普段から使っているボディソープを少量容れ、雑巾を硬く絞って拭く。室内の掃除全般に適用できる。先ずは試して。

 喘息の原因にも効果があり、身体中の痒みが消える。ボディソープも、香料の強いのはいただけません。個人的には、パックスナチュロン社のが、枇杷葉エキス配合で重宝している。廊下の艶も出るので、安価で安心の枇杷葉を、是非お試しください。枇杷葉茶が無いと言う方、送料負担了承で。

 今時には、ネット使用で誰でも買えます。わたくしは、冬の寒中にしか採らないので、数量は限られています。飲料にしないのであれば、暦に照らし合わせて採れ、到着したら直ぐに、生葉を切って乾燥させます。新聞紙か、紙の袋・箱に入れて保存。枇杷葉は、呼吸しているので、自滅します。

 枇杷葉茶を朝作って、常温保存か冷蔵庫に保管し、出来るだけ一日で飲み切るように。残った分を掃除に使ったり、入浴時に容れるのも好い。防腐剤が入っていないので長期の保存には向きません。腐らす方がもったいないので、最後まで使い切るのが好い。汗疹も出ず、保湿効果や美白作用も。

 年齢を重ねると、手の甲の皺は隠せません。また、痩せている方だと、若い時から血管が浮き出て目立ちますが、これは老けとは違いますので、余り気にされないのがいいでしょう。それよりも、血管の浄化を行うので、枇杷葉茶を飲用していると、綺麗な手に変わります。何事にも持続と努力。

 屋敷中が枇杷葉に埋め尽くされている。夏には爽やかな風が通るので、網戸で充分涼しい。

 

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静かな環境・・・

2019年08月05日 | Weblog

 平日の休日は、静かでのんびりと出来るのが好い。余程特別なことが無い限り、出掛けることも無いしで、一息つける。無論の事、図書館は休みであるのは残念。公共の施設なので、大概は休日なのも不便だが、慣れてしまえばそれなりに。宮部みゆきさんの新刊は、昨日の内に借りに行った。

 新聞の投稿に、薬の残ったのはどうするのか?と言うのがあったが、個人的には効果が薄れるのではないか、と思っている。尤も、還暦を過ぎ、古稀近くなったら、枇杷葉のお陰で、健康はこの程度だと自覚した。従って、薬は無論のこと、医者に行かないし罹らないので、薬の増えることも。

 仕事を辞めた時点で、保険証も返す考えでおり、何かあればと言うが、それも寿命であろう。延命を初めから拒否する者でもある。永らえたところで年金は減る一方だし、拘わりも持ちたくないので、出歩かない。枇杷葉での暮しで充分なので、贅沢も節約もしない。あるが儘の物で遣って逝。

 以前、身体中をオーラに包まれていると言われたことがある。介護の仕事に就く前に面接に行った所で、視えたことを話していてのこと。自分では目立とうと想うことはないが、そういった特殊な力が、自然と出てしまうのだろう。ステーブン・キングのキャリーにある。制御が難しいことも。

 枇杷葉をしながら、触ると解ることもあり、我が家を訪れる者で、生死が分かれたりすることも。心の中は、誰にも知れることはないが、時々不意に聴こえる。夢に視たことが、実際に起こることをみせたりする。広島の原爆の様も、経験したことはないのに、突然フラッシュバックするのだ。

 それには、相手の内面に入り込んでしまうことにある。黒い闇が襲いかかってくるのだが、もがいてもあがいても抜けられない。掴みどころのない不安定さに、声も出ない。恐怖の極限に達して、そこから解き放たれるまで、心に写ってくるものが、鮮やかに視える。その瞬間の騒めき空気も。

 日航機の事故の時にもあった。宮部みゆきさんの著作、特に時代物に惹かれてしまうのは、輪廻転生を強く感じるからだ。物語にする力も何もないが、その世界に往って還ってきたことが残っている。我が家の枇杷葉に、天の波動が宿っているのも、守ってくれているのも判る。説明不可能。

 南天は、野鳥が啄んで種を落とし発芽する。煎じての服用には、腹痛等に効き目がある。

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箸墓伝説・・・

2019年08月04日 | Weblog

 箸の日。お箸は、どの材料で作ったのが、使い易く長持ちするのか?子どもの頃には関心が少なかったが、軽くて手に馴染む箸を、つい探してしまう。南天の箸は、諺でもあるように、難を転じることから高価でもある。割り箸も、端材から作るとはいえ、一度きりだから勿体ない。竹が長く使えるが黴ることも。

 昼食には持参している箸は、ふなっしーのだが、これは重い。用途が様々で、選び切れないのもあるが、山に咲く躑躅の箸には、祖母との想い出が重なる。春休みの一日は山に行くことであり、焚物をして山を守っていた。自持ちの山は直ぐ側でも、割り当てられた山は、遠く時間もかかる場所にあり、一日仕事。

 昭和30年代には、贅沢どころか、貧しい暮らしの日々で、倹約・節約を通り越した、自給自足の頃である。百姓には、一日も休みがなく、子どもだからと言って、遊んでいる訳にはいかない。1時間以上の道を行き、帰りには焚物を積んでの疲れた身体である。山菜は自由であったから、蕨を始めとする食材は豊富。

 昼飯は、焼きお結びでおかずは漬物だけである。箸など無いに等しい。手掴みは行儀が悪いと思う祖母は、山躑躅の枝を器用に切って削り、箸を作ってくれた。山の神さまへの断りを言い、切っていたのを思い出す。三隣亡には絶対に行かないので、家での作業になる。祖母との月日には、貧しさばかりが想える。

 激務を終えて帰宅。自宅が近づくにつれ、月の姿が観える。久々の月であるので、感激してしまう。山の連なりに、三日月が浮かんでいる。何という美しさだろう。地球から眺めていられる歓びだけでいい。人間の欲深さには止め処ない。太陽系に集まり周っていることにも驚く。ハワイにこれ以上望遠鏡は否だ。

 棲む場所があって、暮らしていけることを、祖母は祈り感謝していた。戦争のことには触れたくなかったようだが、見知らぬ国に散った息子を想う哀しみには、誰もを寄せ付けなかった。金杯も症状も欲しくなく、息子の無事な姿であり、亡くなっているとしたら、遺品や遺骨をうけとりたかった筈だ。戦争は駄目。

 どの枝にも、花芽が咲き出した。あちこちから漂う匂いに圧倒される。心地よさも一入。

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選挙後の・・・

2019年08月03日 | Weblog

 自民党には入れていないが、新しい党にも馴染めなくて、これまでとは違うが、憲法を維持すると言う観念から、支持党を決めた。予想はしていたが、日和見主義の者の多さに絶句。議員の資格も無いのが、手の平を返すのに厭きれるばかり。幾ら人数が少ないとはいえそれはないでしょう。

 新聞の連載も、詰まらないのが多い。宮部みゆきさんの連載が終わり、空気が抜けたような感覚。好きな作家の死去にも、打撃が深い。読みたい連載や、記事の無い事にも淋しさを感じる。今朝は、田辺聖子さんの特集があったが、如何ともし難い虚しさを募らせる。こちらが逝くしかない。

 今年の桃の出来は、雨に祟られて日持ちが利かない。箱の中で傷みや腐りが生じ、食べる前に捨てる羽目でがっかりだ。枇杷葉の実は、長期に亘って無事であった。無農薬であるのは、腐らず皺になるだけで、甘さも残っていた。桃も、無農薬での栽培が可能で、出回っているが未だ少ない。

 旬の味を愉しめば好いので、口に出来ただけで充分である。自分では作れないので、仕方なく諦める。何に況しても儲けが先であり、手っ取り早い方法となる。人類優先であろうが、棲む星のことも考慮したい。地球と言う惑星が消えたら、元も子も失う。人間の愚かしさを誇張しては駄目。

 蜂蜜の日らしい。蜂蜜は熊がすきなので、ぷーさんの日でもいいかも。暑い日も多少は無くてはならず、米の出来が危ぶまれるばかり。中学校の課題図書を借りて読むが、これが意外な発見だ。知っていることが多いのだが、さて説明をするとなると、すらすらと出て来ない。学べる新鮮さだ。

 百日紅が、白も薄紫も紫も、桃も淡い桃色も一斉に咲いている。温度差があれば、花の色に由って、咲くのがずれてくるのだが、空梅雨と雨の冷え込みに祟られる。蜂の巣をかけるのが気になるものの、上の方でしているらしい。洪水も心配な処だが、旧暦の七夕を過ぎての、台風到来かもね。

 沢田研二さんのステージが、来月にはある。何やら厭な予感もしないではないが、昨年のことがあるので、開催をしてくれることを願う。でも、空席が目立つのは気分消滅だ。地方の公演には、遠出しなくても好く、出不精にも行けるのだが。DVDもあることだし、タイムスリップも可能で。

 パソコンを開くと、膝に乗ろうとしてくる。落ちそうになると、爪を立ててしまうのが難。

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小休止・・・

2019年08月02日 | Weblog

 世の中を、善悪で分けて暮らせるなら、どんなに好いだろう。質素な暮らしでも、生きていける算段があるのを、宝石だのなんだのと資産を肥やし続ける。自分の物ではないが、金をちらつかせて買う。贅沢の限りを盡して、資源の破綻には手を汚さない。質素堅実の暮しは莫迦をみる。

 自然の掟には、人間優先の事ばかりではない。善人であったノアも、その子孫は同じとはいかずである。天地創造を観ていて、人類の愚かさを身の程と知るが、時既に遅しである。堕落してしまった者を、正しくすること等、スーパーマンでも出来はしまい。過ちを繰り返すだけである。

 時そばではないが、一文をごまかしたのを、自分もやってみようとする可笑しさに、遣り方を間違うと更なる損が生じる。現代では、万単位のこととなるから腹が立つ。ネットの危険性に、引っかからないと思っていたが、その信用が過ちに繋がった。人間の心理を巧みに突く詐欺だ。

 でも。カード会社も、消費生活センターも、そういった類の件案が増えてきていることを踏まえ、返金方法を教えてはくれるのだが、やりとりがメールだけに不安も募る。まあそれが出来れば、騙されてはいない。今以て、どうしたらいいのかが不明で手に負えない。高い月謝についたよ。

 夏真っ盛りに、室温も上がって暑さも一入だったので、換気扇を回す。台所に届くまでには、かなり温かい空気になるから、炊事は一苦労である。真夜中を過ぎると、流石に涼しくなる。本来は、冷房を切りたいところだが、一旦切って点けるのは、電気代がかかるようで、我慢するしか。

 庭の水遣りも、午前中にするよりも、夕方の方が凌げるので、水道栓を捻る。身体にかかるのも心地よい。木香バラの新芽が出てくるのを、適当に摘んでいく。間を空かしていないと、蜂の巣ができてしまう。自然に棲んでいる物には、台風の予想もつくらしく、巣の掛け方で分かるのだ。

 蜂に刺されたら、体質的には死亡することもあるので、昼間には白い衣類を着て、夜間には黒がいいようだ。襲われるには、理由があり、人間の備えを怠るが故。或いは、臭いにも敏感に察知するようで、人間が良しと思う匂いも、彼等には攻撃の合図になるのかもしれない。用心しよう。

 個人的には、枇杷葉エキスがあるので、それを浸けて症状を和らげる。痛みも、独特の痒みも消える。ひたすらエキスを浸して手当てをする。百足にも効果があるが、誰もが常備していないので、医者に行くしかない。医者嫌いにはこれで充分。自然との共有にも、無理のない方法が好い。

 枇杷葉の中心が膨らみ、苞が小豆粒位になったら、開いていなくても匂いがしてくるよ。

 

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