枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

十戒

2023年09月10日 | Weblog
 今朝も、気温は凌ぎ易く何事も捗る。図書館から予約本のメールがあり、プラ再生資源を持ち徒歩で出かけたもの。宮部みゆきさんの新刊、最後の針雨の里を読み終えるが壮絶さに総毛立つ。ふと思ったのは、活字や映像で読み知ることができる現在にも隠された真実のあることを。人は何故与えられてを満足しない。

 昼食を口にしながら、可の者達は差別と飢えをどう凌いでいたのか。単に救い主を待つだけではなく、全能の神の存在を信じ如何なることにも堪えていた。虐げられた日々でありながら、そこまでの信仰が可能なのか。自由と云う行いには、自己責任も伴い好き勝手をすることではないとも思える。愛の深さに眩暈が。

 宇宙・神から与えて貰うことだけを心得て受け取れば、流れ落ちることもなく沁みて纏える。それができぬと、見えた物を求め余分なことしか写らなくなる。それには自らを省みれば判ること、手に入らぬ物はないとさえ思えていた。願えど望めども、決して思うに任せず遠のくばかりのことに気づいたが遅きに失す。

 必要であれば与えられ、心を清らかにして背筋を伸ばし前を向けば天から授かるもの。宗教に違いはあれども、信じる神は宇宙そのものだと時空を翔ける。下界のせせこましさ如何を嘆きではなく実践して、あちらに退き移っていかなければ。弥勒の数字が視えてくるにも、意味が繋がり訓え導かれ更なる高みに到達。

 庭を徘徊時に、朝顔が群れ咲きポリナゴムは地を覆う。百日紅が、涼しさに蕾となり紫陽花は季節に戸惑いつつ風に揺れる。桔梗も、何度目の開花だろうか。木通は未だ青いが、熟れて来るのが待たれ陽に眩しい。揚羽蝶の黄色と黒が互いに飛び交いながら、ささやき合う。穏やかな日であること、気持ちは清々しく。
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ゆりかごのうたに

2023年09月09日 | Weblog
 枇杷葉のお茶葉作りや、関りを持つようになると口ずさむ童謡。十数年前の新聞記事に、上皇后さまが訪れた園児の前で歌われていた。それが映像でも観られたのと、やさしく清んだ声に胸が一杯になる。関連の記事を見つけ、夏川りみさんの声音に惹かれ腹の底へ沁み同時に張りのある声に魅了されファンになった。

 揺り籠で思い出すのは、生まれた時期が暑さの最中であり汗疹に眠れず癇癪を起した。母の一番下の妹・叔母が女学生の時であり、子守り中に泣き止まぬ姪に困ったそうだ。そこで竹で編んだ篭をロープで括り、柱と鴨居に縛ったと聞く。背中に風が通るので、気持ちよくなり意地も言わず寝息を立て汗疹も引いたと。

 叔母は幼稚園の教諭を目指しており、この歌も聴かせてくれたようだ。記憶の中に隠されている事象が、何かの折に出て来る。そのことに気づいたのは、誰が歌うのではなく耳の底に残る声で甦える。想いが溜まりこみ心に不安定さが生じ、とある方へ頼み込む。その声を聴きながら、遠い記憶に漸くに辿り着いたよ。

 手塚治虫氏の鉄腕アトムに、ブラックルックスとして描かれている。他人其々に声の質は異なれども、或いは文章の綴りさえ違えど見えないことが視えてくることにも遭遇する。それら凡てが、神の意志であり与えて貰える事象は決して同じではない。自分に起きたことが相手へもとは限らずだし、同時となることも。

 昨日、酢飯を作ったのをすばるがねだる。気温も朝方は24℃であり、涼しいを越えて寒くも感じるが白露と納得。外に出して陽を浴びていたプライダルベールやオリズルラン、室内に移動と吊り下げる。ベゴニアと多肉はもう少し後、ポトスは仕舞う。久々に掃除機をかけ布団も干し、真夜中満天の星も観え感謝です。
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節気・候・雑節、旧暦の活用

2023年09月08日 | Weblog
 二十四節気 白露 朝夕涼しくなり、草木の葉に宿る露が、白く光るという意味で白露と云う。毎年、九月八日頃である。日本には一年を二十四として、季節の境を設置し農事に用いることが多くあるのです。これに七十二候を加えたり、雑節を足したりと洋風化も紛らわしい。江戸時代にはなかった風習へと変化。

 昨今には、新暦でのカレンダー基準で物事が行われる。何でもに早くがいいと、天気や環境はお構いなしと強引ぐマイウエー特に七夕は晴れた試しがなくずぶ濡れ。十年一昔と云うから、今時の者には通じないことと愕然。昨日も過ごし易い一日、水遣りだけは欠かせず行う有様になり雨が降って?いませんですわ。

 狐の嫁入りもできない雨量、白龍は眠りの中であるようです。今朝は、洗濯物も少なく終わりAさん地にお水を分けて貰いに出掛けた。枇杷葉茶を始めとして珈琲とご飯を炊くのや、料理全般に用いるが未だ水滴を保つ冷たさ。咽喉越しが完全に異なるので、命への拘りとも繋がる有難さなのとカルキ臭無しですね。

 何気に鉢を移動させたら、自然発芽の枇杷苗がびっしりと生えている。余りの数に声も出なくて、フェンスの囲いにするか?隣との境界に植えるかを検討中。鉢植えだと、育ってからが一大事で地植えにするしか方法もない。数年を経ると、根も可なり深く掘り上げるのに一苦労。安易にばら撒きを、しないの賢明。

 今年は、袋掛けに千枚を要したので選果の時点で放置していた。矢張り用心に越したことはなく、焼酎に漬けるかお茶に保管してが得策でもあった。今更遅いが、後悔役立たずである。足湯に来た日のこと、娘さんが妙に気になってメール。帰宅後に仲間と出かけた場所で、全身総毛立ったとの由に予感的中となる。
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文月・下弦・小潮

2023年09月07日 | Weblog
 昨夜の冷え込みには寝付けず、足元がひんやりで押し入れから羽毛布団を出してしまう。頭寒足熱とはよく言ったもので、程なくして眠れた。今朝は、風もあり気温は24℃が31℃になっている。足湯の手当てで疲れているのに、足が冷えると眠れない実証に年齢も思えた。今夏は、極力エアコン点けず靴下も穿かない。

 廊下の掃除を始め、拭き掃除をするのが都合よいからだ。序に老化も防ぐのは、身体を隅々まで動かせていることと認識している。エステにもサークル関係にも、興味はなくだがスクワットや屈伸も軽々と可能。他人の真似はせずであり、自らを律していれば肥ることも然もありなん。高い月謝を、払う気は更々なく。

 肉や魚の生き物の命を奪い、死骸となった塊に平気な態度で口にするのが胸に迫る。食欲は湧かず、人間の欲と儲けに曝された動物へ祈る。野菜にも同じことが言え、そこに感謝の想い籠め自然へ今日の糧をと祈る。誰かに云うのではなくて、自らへの諫めであり実行としていることなのです。水と塩だけでも保てる。

 コロナが世界中に蔓延し始めて、出不精への批判も強制も無くなればと心底思った。接種は一度もせず自慢だが、その症状にも罹らないよ。マスクや消毒さえ、徹底はしてないが症状は現れて来ないわ。仕事を辞めてから、一切医療機関への出入りはない為と思える。何よりも宇宙に守られてを実感して、日々を送るが。

 朝起床して、その日の行動をする内に可能な事象が視えてくる。それを行えば良いだけで、自分に与えられた役目と心得ている。危険からの察知には、予定を変更しているが差し障りは全くない。この世に産まれ来た使命は個々に異なるから、他人を否定も肯定もしないでいられることへありがとうと想いを祈るもの。
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心境の如何に・・・

2023年09月06日 | Weblog
 今朝の空は、晴れてはいるものの雲が多い。昨夜電話があり、足湯に来るという。珈琲を飲みたい要望、昼食の用意を問うと何でもいいとの返事に。卵はオムレツにも茹でても目玉焼きや、出汁巻き等用途は広い。さてどうしよう?献立とは云えぬ内容に悩ましいが、足湯が目的なのであるから段取りをした。

 映画の予定もあり、公開を待っているのが指輪物語。観たいのはあるが厳選してでないと、倹約には遠い。DVDも出るには違いないが、先の予測も数年先では観ておきたい。何かが起きる可能性も否定できないから、臓器提供も免許証に記している。枇杷葉茶飲用で、臓器は医者も吃驚な綺麗さ自慢なのもあるわ。

 おつむりの出来と性格の悪さは、無関係と思えるので登録した次第。事故が起きれば救急搬送で入院を余儀なくされ、保険証を持たぬから費用は払えぬ。生きてならばこそ、直ぐに提供でき誰かの役に立てる。脳死状態だから記憶までは移せないと、思うものの多少の不安は拭えぬ。医学的・科学的な顕著乏しい。

 身近に起きる事象にも、特別に拘る必然性はないが偶然とも想えない。数字に含まれる予測も、何故か事前に判る。意思の疎通・以心伝心にも、男女を問わずのことに少なからず知らせてくれるのだ。それも感知能力なのかは、定かではないが起きる現象に違和感はない。ああ・そうなのかと納得の至りに到達す。

 見えないことが視えるというのも、出鱈目やまやかしではなく現実に必ず起きる。事前に知らされるには、無意味ではないと思うのだが告げるまでには至らない。本人への通知も憚られる場合や、云ってはならぬ掟もある。相手を慮る配慮にも個人の心理を理解でないと、してはならない行為となり後を退くもの。
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微睡の彼方より

2023年09月05日 | Weblog
 青瓜不動に続いて、だんだん人形を読み終えた。文章の不可思議さ、そこに文字で現れて来る訓えに自らを認めて律する念がある。宮部みゆきさんの新刊も、予約でなくても図書館からメールに入っていることが多い。是即ち天の声であると信じ、心の動揺に応じてのことも多々あるのが何とも奇妙な出来事。

 理屈や屁理屈もなく心で想い念じることで、視えて来るからだ。祈るのは自然へであり、感謝は森羅万象なのも有難い。自分の言葉で綴り記してこそ、覚れ訓えて貰えるのも事実なことと徳している。未来が判るというのか視え、知らせてあげたくも方法がないのです。後出しだと言われ、それなら早くとも。

 否・記してあるんですよ、気づかないだけで即ち己のことと思えないからでも。視えることには残酷さも含み、決して良いことばかりではありません。堪えず心の持ち方と赦しの想いであれば、凪いでくるものです。幸福と不幸の境目はなく、陽の光溢れる場所には反対に影ができるのは分り切ったことです。

 闇の中には、一条の光もあれば解けていくこともあるのは真実です。でもそれを行うのは自らでしかありませんから、暗闇に閉ざされ出口さえ見つけられぬ。心を病むという症状には、医者にさえも解明できない心底が隠されているのだと推し量る。現代社会では異端者を排除し、同じ意見にしか耳を貸さず。

 沖縄を基地にしないで。国の丁寧な説明はなく、海を闇雲に埋め立て生き物を殺戮していくばかりです。人間同士なら、抵抗していけるでしょうが物云わぬ無抵抗な生物を何故?裁判もなく訴えることすら不可能な立場を、思い至れるやさしさの欠片はないですか。命を粗末にしないでとは、人間にだけ非ず。

 追記 夕方の水遣りをしながら、虹が懸かってなのに気づいた。ホースを片手にぼんやりと遣り続けていたら、半円から直径5mの輪に身体が包み込まれた。西日の関係で、東に向いた時のことだがこの現象に素直になれた。今までは、半円で観えるだけで円周になったことはない。何という御業と降臨かな。
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未知は果て無く・・・

2023年09月04日 | Weblog
 宮部みゆき・青瓜不動は、三島屋変調百物語九之続となっている。自然がもたらせる風土・附記には、特徴が伺え物語と織られていく。土の資質には、粘土や砂に金気を含むこともあり作物への影響が大きい。それを生き物に例えての暮らし向きと重ねては、歴史を行き交う。御伽草子に、見る覚束なさも大きく関わる。

 作者の単なる思い付きではなく、丹念に調べ会得してのことと物語を読み進める。文章も余計な言葉が無いので、虜になって時を忘れ眠気も飛び去ってしまう。書かれていることの中には、自らが知りたく思える事柄が含まれていて謎でも有る。宇宙である処の神が、必要とするなら授けてくれるものと受け取っている。

 今朝は、意図せぬことだが誰かが傍にいると察した。無論のこと、枇杷葉繋がりなのだが触られた温かさに想える処がある。お礼を伝えにおいでだと解釈しているのは、その方と我が家の枇杷葉が通じてと感じるの。丁度息を引き取られる寸前には、弥勒の数字も視た。その日は望、曇りから一転して宙には月が現れた。

 我が家の上空には、宇宙との繋がりがあり白龍も棲まう空間だ。それを信じての者には、恩恵が与えられる。どんなに遠く離れていても、意思の疎通は疑えない事実。昨日もそういう事象が起きて、涙が止まらなかった。時は流れ決して留まらず、支流から本流へと渦を巻き続ける。汝の敵を愛せよ、今正に原点へ還る。

 日々の糧を与えて下さり、心を安寧に保てる如く精進せよと諫める。魔を孕むと、心の結界が外れた時となり停められぬ事態を引き起こす。これまでに書かれてきた寓話や童話にもあり、真実を見極めたい。人間の業は、美しさも清らかささえ失せさせてしまう。その時にならぬと気づかず、傲慢を忖度し続けるのかも。
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晴れたら水遣り

2023年09月03日 | Weblog
 今朝は晴れ、気温は26℃であるがグングン上昇して33℃。昨夜は、羽毛布団を出しての就寝であるが寒くて。窓は洗面台を開けており、そこからの空気が心地よくわたるのだ。体調異変に腹巻は欠かせずとしてなのも、風邪を引きたくない所以。咽喉に直ぐに来る為、枇杷葉エキスをワンプッシュで布団に潜る。

 暑さには我慢できるが、寒さには弱い。室内で過ごすのもさしあたり、汗をかくほどにもならず衣類調整できる。現状維持で受け止め、何事にも妬まず疎ねずでありたい心境だ。価値観の違いなんだろうと思えるのは、相手への強制や命令をしないことと童話を読み考えた。この本は、ブロ友さんが紹介してだ。

 目から鱗とも云うが、異次元の世界でありながらも同じに感じること。見方が全く反対で、それでいて違和感なく心に沁みこんでいく。未知の世界への探訪にも、すんなりと翔けれていき其処に落ち着くのよ。この本の存在は大昔のことではない、読者の思考に否定も肯定も存在しない処が心理的かと思えるわ。

 宇宙を眺めていれば不可思議な事態かも?実際に起きるか、わくわくすることがある。大半の者は疑うし、信じないが。地球に存在する人口の数だけ、あらゆる分野で異なるのも確かで同じ見解等有り得ないだろうなぁとも。だからこそブログは面白いのであり、訪問をしている。異論は色んな他人で成り立つ。

 今朝は防災訓練があり、町内に集合とのことだが現実では自宅を動かぬ方が良い。山の中腹なので、下りれば危険が増すからだ。命を粗末にも、することへの異議は持ち合わせぬものの実際に起きたら逃げ場はない。想定内で常に考えていても自然は掌を返し、想定外を牽き起こす。その時が来てからでいいわ。
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文月・八せん終わり・三隣亡

2023年09月02日 | Weblog
 今朝は鴉が騒がしく、鳴き飛ぶ。庭徘徊時には、昨夕の水遣りが効いたか復活の兆し。二・三日曇りと気温の低さに暫し出て、ドクダミと露草を片付ける。環境的な配慮から勢いもいいのだが、進めない状態に陥る。頭上は芥川龍之介で、下は山本有三の有様に吐息をつきたくなるものの農薬はかけられません。

 林檎が三個生っている内、齧られてがある。ということは味も良いと?保証されたが、口に入るかは分かりません。気温が26℃で、すばるが膝にやって来るのも重さに移動。エアコンも除湿器も中途半端で点けられぬ状態、電気代の節約しかない。身体的には何等異常はなく、健康な今年極尤も有難く思えるわ。

 三十代から四十代が精神的にも絶不調、その時に視えたことと知り得たことで今日に至れる。あのまま病院通いを続け、医者と薬に依存しての生活なら疾うに命を終えていた。宇宙からの声が聴こえたこと、自らを律して来られたことには感謝するばかり。物事の基本に立ち返れて気づけた原理は、命への讃歌。

 本屋に勤めていた関係で、書籍もコミックも初版本が揃っている。貸本屋からの買取は傷みもあるし、保存状態は良くないが。手塚治虫・ちばてつや・白土三平・石森章太郎・横山光輝・大和和紀・里中満智子・竹宮恵子・武田律子・忠津陽子・土田よしこ・高橋留美子…別格は、文月今日子に萩尾望都両画家。

 特別枠は、水野英子と位置つけている。あ・坂田靖子は、わたくしの思考範囲に遇うの。未だ記載していない漫画家も、書ききれないし本箱に入りきらない状態です。給料の殆どを、こういった収集に当てた日々が懐かしい。従って断捨離等とんでもなく、売る位なら買わないわサイン本もしこたまあるのです。

 上記載、思いつくままなので順不動。並びに敬称略。
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二百十日・大潮・文月

2023年09月01日 | Weblog
 今朝の気温は26℃だったが、今は29℃に。昨夜は、夕方からの時雨で観望は案じられたが雲切れ目から眺める。1分?僅かな時間ではあるが外に出た途端に、雲が動いてくれた。最近ねぇ、こういう不可思議なことが多いのよ。無理も無茶もなく、己に正直であれば宇宙は察してなのも有難いこと。欲望は絶望へと。

 わたくしの信じる処は、神はイエスではなく森羅万象で宇宙なのです。そこんところを誤解のなきように、願わずなのにも与えて下さることだけに感謝を。言葉には言霊が潜むのも、誰に向けてではなく自らへの自戒を含む。身体は地上で生活するのに貸された物体で、壊れもするし病にも罹るのと思える日々です。

 ブロ友さんの更新記事も実に様々で、背伸びをしてや真実の件に借り物も見当たる。それが個性なのも至極尤もなこと、そこは読み手の解釈如何。コメント記載も、他人のは読まないし興味は薄い。訪問はしても内容に心が動かなければ、書く気が失せる。性別無関係で応じるブロ友さん、数人には頭が上がらない。

 新聞購読を何時止めるか?廃品回収時までの保管が、場所を取るのも悩ましい。集配所への持ち込みも、再生プラや瓶に缶とあり衣類も纏めて出せるのも。然しは案山子、徒歩では無理なこともあり生徒が集配するのが望ましい。子どもを過保護にはせぬようにと思うのだが、至れり尽くせりの我儘と甘やかし感も。

 世の移ろいであれば、これもまた致し方なく現状でもあるなぁ。時代が違うと云えばそれまでだが、自らが考えていける環境こそと思えてしまう。昔の子育てとは明らかに異なるが、違和感の大きさに戸惑う。10人居れば同じな性格はなくて、思考的にも10通り。だからこそ?努力と励みで培い、未来へ進めるのよ。
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