私ごときが書くより、もっと適当な人が方々に書かれるだろう。
本日なくなった、桂米朝師匠、享年89歳。
藤本義一先輩を偲ぶ会で、ご本人の代わりに来てらした息子の米團治さんが
「人が死んでもそないに嘆き悲しむ人ではなかった。
たぶん、この世の続きにあの世があると思ってるふしがある」
と、言っていた。
なので、ご本人死んだつもりはないのかもしれない。
なんやったら高座に上がれないようになってからは、
もう半分死んでるみたいに思ってはったかもしれない。
一度だけ武庫之荘のお宅にお邪魔させていただいた。
昨年亡くなった奥さん手製の松茸のおにぎりをよばれた気がする。
勉強家ですべての芸能に通じているような博覧強記。
それだけに実際のところ周りはどこまで付いて来れたか、
多くの弟子に囲まれながらも、誰もついてこれる境地にはおられず、
心の中は孤高だったかもしれない。
我といふ人の心はただひとり、我より他に知る人はなし (谷崎潤一郎)
分かる奴には一言いってもわかる。分からぬ奴にはどう言ったってわからぬ (北大路魯山人)
どうやら名人上手とは、そういうものなのかもしれない。
こうなれば、あっちの世界で、師匠の正岡容や
先に逝った兄弟弟子の小沢昭一らと一杯やって芸談でもしていただきたい。
お疲れさまでした。
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