私の高校は神道系であった。
伊勢神宮の五十鈴川にずぶずぶ入って行って、
禊(みそぎ)をした経験を持つものはそう多くはないだろう。
さて、ここ大阪は住吉大社。
全国二千からなる住吉神社の総本山になる。
この5月で、始まって1800年を迎えた。
1800年だぜ!
奈良も京都もかなわない、とんでもない歴史を持つ。
奈良にも京都にもないものというと、海であり港である。
(日本海側の京都もあるけど)
古代、住吉はすみのえ、アジアに向けて開かれた港だった。
太鼓橋。 別名を反橋。
この神池は港の入り江の名残、という説がある。
婚礼が行われてやがらぁ。 玉砂利鳴らして・・・ちょっといいもんである。
神道系の高校だから、なんぞのお祭りの時に、
待者として行列に参加するバイトをした記憶がうっすらある。
伊勢神宮や出雲大社、明治神宮のような凛とした空気があんまり感じられないのは
私だけではなかろう。畏れ敬うというより、心安くポンポンと手を合わせ
「ホンマに、あんじょうたのんまっせ」と拝んだ、大阪人の気質を反映してるのかもしれない。
ボクらガキの時分は縁日、夜店の楽しさである。
化けもの屋敷に見世物、サーカス。
境内で巨大なカゴの中をバイクがグルグル回っていたという。
片隅に、五大力と書かれた砂利を見つけたら、ご利益ありという。
今どきのパワースポットがある。
若い女性が一人で来てたり、不思議な光景だ。
どうぞ、東北の復興に力をお貸しください。
池田味噌本舗。 19代目主人がまだまだ意気軒昂。
UFOから陽明学までとび出す、85歳。
奥で鍋ひとつで名物住乃江味噌が作られる。
この界隈というと、ちんちん電車が風景の一部。
線路を撮ろうと構えると、ぴょこんと可愛い男の子が入ってきた。
未来の住吉はキミに託した。
住吉大社を西へ、南海電車を越えて、住吉公園を横切ると
26号線沿い(だったかな)にそびえ立つ、大灯篭。
昔はもう少し海側に立ち、航行する船の灯台の役目を担った。
南へ少し下るってぇと、細井川。
昔から細かったんだろうが、ここまでぢゃないだろう。
住吉界隈はサツマイモの名産地で、刈り取られた作物は船に積まれて
そのまま川下へ降り、住之江を北上し、淀川から京都へと向かった。
数多くの和歌が詠まれた風光明媚なる地で、
この住之江から遣隋使、遣唐使の船が出て行った。
すっかり海は遠くなってしまった。
もう記憶から消えつつあるが、私も住吉っ子だった。
昭和30年代、住吉の地に住んでいた。 語源通り、すみよし…住みやすかったような気がする。
そこら中、地道で埃っぽかった。 ロバのパン屋やチンドン屋が来た。
畑にいくつも風車が回ってたなんていっても
もはや誰も信じてくれやしないだろう。