この秋以降、何人もの友人が旅立っていった。
そんなに続かなくてもいいのに。
こっちがそういう年齢になったということか。
まずはこの友達。
写真家 北畠健三さん。 今年1月のお姿。
彼の地元である神戸新開地で。
震災を期に始めた写真展「神戸HEARTS」はこの時、10年目で
終わりを告げた。
仕事もさせていただいたが、何度も酒席も共にした。
僕は酒が好きなのではなく酒場が好きと言ってらした。
友部正人のおでん屋のおやじの顔のクローズアップは、
彼の出世作だ。
さらに、もう一人。
そして、ブルーグラス・バンジョーの第一人者で
ブルーグラスの日本を代表するオーガナイザーであった
渡辺(井上)三郎さん。
神戸元町「ロストシティ」というコーヒーハウスから1967年、
産声をあげたブルーグラス45で、71年米国ツアーを果たした。
私が野外フェスを旅して回った76年当時、
「お前はブルーグラス45を知ってるか?」と何度聞かれたことか。
その都度、「友達だ」と答えた。 ずっと先輩だから当時はあり得なかった。
結成50周年を記念して、全米ツアーを敢行。
ただのオッサンに非ず、現役バリバリですぞ。
我々が憧れた時代は、ニューサウス・リバイバルというバンドで
スクラッグス・スタイルのバンジョーを弾いていたサブさん。
ちょっと遊んではミスして、ニコッと笑ってごまかすのが芸だった。
最愛の家族に看取られて逝ったのがよかったね。
そうして、今頃は・・・
憧れのアール・スクラッグスとジャムセッションでも楽しんでいるに
ちがいない。 R.I.P.
そんなに続かなくてもいいのに。
こっちがそういう年齢になったということか。
まずはこの友達。
写真家 北畠健三さん。 今年1月のお姿。
彼の地元である神戸新開地で。
震災を期に始めた写真展「神戸HEARTS」はこの時、10年目で
終わりを告げた。
仕事もさせていただいたが、何度も酒席も共にした。
僕は酒が好きなのではなく酒場が好きと言ってらした。
友部正人のおでん屋のおやじの顔のクローズアップは、
彼の出世作だ。
さらに、もう一人。
そして、ブルーグラス・バンジョーの第一人者で
ブルーグラスの日本を代表するオーガナイザーであった
渡辺(井上)三郎さん。
神戸元町「ロストシティ」というコーヒーハウスから1967年、
産声をあげたブルーグラス45で、71年米国ツアーを果たした。
私が野外フェスを旅して回った76年当時、
「お前はブルーグラス45を知ってるか?」と何度聞かれたことか。
その都度、「友達だ」と答えた。 ずっと先輩だから当時はあり得なかった。
結成50周年を記念して、全米ツアーを敢行。
ただのオッサンに非ず、現役バリバリですぞ。
我々が憧れた時代は、ニューサウス・リバイバルというバンドで
スクラッグス・スタイルのバンジョーを弾いていたサブさん。
ちょっと遊んではミスして、ニコッと笑ってごまかすのが芸だった。
最愛の家族に看取られて逝ったのがよかったね。
そうして、今頃は・・・
憧れのアール・スクラッグスとジャムセッションでも楽しんでいるに
ちがいない。 R.I.P.
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