梅田お初天神裏 言い訳のように、ぽんぽんと柏手を打ち呑みに行く
北サンボア、瓢亭の夕霧そば、酒肆門、北龍、八栄亭の焼き鳥…
小さな店がギュッと固まって肩寄せ合う風情が好きだった一角。
この日も静かに暖簾が揺れていた
70代の主人夫婦、長年、お初天神に手を合わせてから店を開けた。
野菜と魚介の炒め物を「ふきよせ」なんて、ちょっと粋な名前だ。
昭和26年の開店。 大阪のお好み焼きの老舗、最期の日
運よく鉄板の前に座らせてもらった。暑い。これじゃ夏場は辛かろう。
血糖値が下がるので、砂糖水を飲んで立ったという。過酷だ。
ビールで餃子。お好み焼き屋なのに名物は焼き餃子。
餃子も食べたことがないのに、初代である主人の母堂が、
中国人に習って店で出した。もろみで食べさせるのも面白い。
お好み焼き、焼きそばは小ぶり。
かつてあった新地の「以登家」といい、元は腹を膨らませるものではなかったのだろう。
花街で差向いで一杯やりながら焼いたり、焼かれたりする大人の玩具的なスナックだった。だから生野辺りの玄関の三和土をいじって鉄板を
置いたお好み焼き屋などとは、そもそも成り立ちがちがう。
ぶた
いか そう、昔は豚玉などと言わず、豚は豚、いかはいかだった。
焼きそば 細かく刻んだキャベツが目に留まる。
こうすると火の通りも早いし、キャベツと豚肉・・・つまりは
餃子の餡も同じ原材料で流用できたのではないかとみる。
どう見てもご主人、器用そうに見えない。
最後の日も刻んだキャベツを鉄板の脇にぶわっとこぼしてた。
このベテランにして、愛すべき不器用さではないか。
名コンビぶりはどこか往年の島田洋介・今喜多代を思わせた。
戦後の貧しさ、経済復興、高度成長、万博景気、オイルショック、
バブル経済、破綻・・・様々な時代の揺れを見てきた店。
冷酒をたのんだ。最後の一本なんで売り切ったら終わりという。
その長い歴史に瞑目し乾杯す。
福助、最期の日。
外に出たら行列が。もう、この週末には解体作業に入ると聞いた。
鉄板は北新地のどこかのママがもらい受けたという。何処かの店の厨房にでも納まるのだろうか。鉄板は生き続ける。
小さな女将は、長身の亭主を見上げ、「二人三脚というけど、
私らは二人でやっと一人前なんですよ」と嗤った。
忙しい毎日から解放されて、安堵のあまり、
老け込まないようにして下さいね。大きなお世話か・・・。
お好み焼き「福助」 北区曽根崎2 お初天神裏
女3人で鉄板の前に座り、食べて喋って盛り上がってたら
あまりのかしましさにおばちゃんに叱られたりしました(^^; 20年も前の話ですが。
閉店は新聞で知りましたが25日までに行けませんでした。
最後の姿を見届けた管理人さまが羨ましいです。
梅田で用があったので、無理やり先に入れてよかった。帰りに寄ろうなんて悠長なこと考えてたら、材料が切れて早や仕舞いされてたかもしれません。
味と言う物を単に味で終わらせず、重み或る物で、閉める。
やはり 大阪人なんですね。