年の始めは音楽ネタから始めよう。
ウェスタンスイングという音楽にはまるキッカケは、ジョニーギンブルというフィドラーを間近で見たことに始まる。
1976年の夏テネシー州ナッシュビル郊外の自宅農場で行われたバディスパイカーのミュージックフェスティバル。
バディスパイカーはブルーグラス・カントリー出身で、ナッシュビルのスタジオミュージシャンとなり、エリアコード615でも知られる名フィドラー。この日のセッションはバディスパイカー、デイルポッター、ジョニーギンブルのフィドル。ベースは若きロイハスキー。
派手なケレン味あるバディのフィドルに対して、ギンブルのそれは一見地味だがスイング感にあふれていた。それに実に楽しそうなのだ。スイングだけぢゃなくいろんな音楽が飛び出した。ブルーグラスしか知らなかったアタシは、ああ、こんなのもいいなぁ…と、ただもう憧れた。
ジョニー・ギンブル 1926年テキサス州バスコム生まれ。12歳で兄たちとローズシティ・スイングスターズというバンドで音楽活動を開始。
1940年代にボブ・ウイルス&テキサスプレイボーイズに参加。
フィドルとエレクトリックマンドリンを担当。タイニームーア(Fiddle,El.Mandorin)、エルドンシャンブリン(El.Guitar)、ハーブレミントン(Steel Guitar)らと多くの演奏を残している。こいつは見たかった。
その後、一時音楽を離れていたが、69年再びウイルスに呼ばれ、セッションミュージシャンとして活動を再開。
73年の「For The Last Time」でもジョニーのフィドルは光る。病床から駆け付け、レコーディングスタジオにベッドを持ち込んだかつてのボス、ボブ・ウイルスの前で、レオンマッカーリフなど歴代プレイボーイズの名プレイヤーたちが演奏をした。ときに有名なボブのHollerがかすかに聴こえる、胸を打つ名盤だ。
ミリオンダラーバンドはナッシュビルのベテランセッションミュージシャンたちのスーパーバンド。ウエスタンスイングの残党からうまくセッションマンにスライド出来たあたり、技術だけでなく人間性でもあったのだろう。
右からジャズマンドリンの名手ジェスロバーンズ、ギンブル氏、ミスターギター・チェットアトキンス、ハーモニカの第一人者チャーリーマッコイ、バンジョーもするロイクラーク、管はよく知らなくて、端はピアノのフロイドクレーマー。
再評価は高まり、アスリープアットザホイールにセッション参加したり、83年にはウイリーネルソンのStar Dustなどを演ったワールドツアー、レイプライスのツアーなど、引っ張りだこになっていった。おじさんパワー全開である。
TVのオースチン・シティリミッツには何度も参加。出る時は出るが引き際を心得るのがジョニーのいいところ。ここいらにセッションマンたる矜持が働いている。たえず全体像を忘れないのがいい。ソロへの入りのタイミング、短いアドリブでの序破急のつけ方、鮮やかな引き際、それを裏打ちするテクニック(スイング感・的確なダブルストップ)・・・フィドルに興味をお持ちの方は、ぜひ彼の加わったアルバムを耳かっぽじって聴いていただきたい。
麻田浩大兄は「レイベンソンと一緒にジョニーギンブル呼びましょう」などと言ってたけど、うかうかしてるうちにもう84歳、そうそう故郷を離れる訳にも行くまい。今は息子や孫と一緒にステージを踏んだりフィドルを後進に教えたりしているそうだ。元気ならばそれでよい。
彼から学んだものを、さらに磨いてレベルアップしたものにできればいいのだが、そう軽々に言えたもんではない。ここでこんなキイ叩いてる暇があればフィドルでも出しゃあいいのに、そんな意気地もなく、チンタラと今年も始まっている。
まぁ、いい、楽しんで行こう・・・!
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