京都、祇園下河原。 修学旅行の生徒が一列でケッタイな按配で写真撮っていた。
そこにあるのが、「ぎおん浜作」。
日本料理の世界では知られた存在。
何で知られているかというと、谷崎潤一郎、川端康成、小林秀雄、白州次郎、川口松太郎、
河井寛次郎、小津安二郎、イサムノグチ、チャップリン、吉右衛門… 錚々たる客の顔ぶれ。
それだけではない。 初代森川栄は客の目の前で鯛や海老をさばき、その手さばきを見せた。
酒食は料亭でとるのが当たり前の時代、カウンター割烹はこの「浜作」から始まったとの説あり。
昭和2年、祇園富永町に暖簾を掲げた。 その模様がこの一枚。
腰かけで客とのやり取りで料理を決めて出す割烹は、大阪から始まったとの説もあり。
そもそも浜作の初代も船場で修業したのだから、大正末期の大大阪時代を経て、
その料理技術をもって、ご大典の好景気に沸く京都で独立したとみえる。
まずは冷たいじゅんさい
ちゅるんと快感。
ハモの季節だったので、葛たたき。
目の前でハモ切りし、化粧用の刷毛でくずを叩いて行く。
谷崎はここか、辻留か堺萬の葛たたきを大層好み、その官能的な食感から、
ヌードダンサー春川ますみを想起した。
造りは、明石鯛・目板かれい
器は先々代の楽。
いちじくのワイン煮 胡麻ソース
いちじくの器を横から…器の見事なこと、さすが。
こっちは取材のノリだが、文化財級の器が出されるところがすごい。
はもざく うざくではなく、カリッと焼いた鱧。
これも初代の考案と聞いた。キュウリは徹底して水を搾る。
青いのは河井寛次郎作。
もう一方の器は濱田庄司。
民芸の大物である。
これもまた名物、だし巻き。
ふわふわで箸でつまむのが難儀なくらい。じわじわだしが滲み出す。
器の色彩がすごい。
先代の永楽。 派手で大胆な構図。
それでも野暮にならないのはさすがというべきか。
シメには鰯の印籠煮
なんでもない器だが、魯山人。
今では名人上手だが店に来て、例によって尊大な物言いをし、軒並み嫌われていたらしい。
金を払わない分、自作の焼きものをいらんと言われても箱で送って来たという。
精神的にもそういうタフネスでないと、仕事は残せないらしい。
千鳥酢で6時間炊いて、濃い口だけで3時間炊く…素人に真似できるシロモノではない。
これで茶漬けをシメに。
炊き込みごはんを出して、常連だった湯川秀樹に叱られたという。
「浜作はこんなご飯をいつから出すようになったのか」と。 お~こわ。
ご馳走をさんざん食べた〆はあっさりとした白ご飯こそが良いと悟ったという。
浜作は初代から主流派にはならない人だったらしく、三代目の今も一言居士である。
京都の料理人は強力な旗振り役がいるから、みんな一方の方向にしか向いていなくて、
それは不健全なことやと仰る、京都で唯一の非主流派。
バブル後、なんとかこの一店だけにして立ち直りを図って来た。
そうして、客の好みに当意即妙に応える板前割烹の原点に立ち返った。
この店を自由に使えるようになるには、経験値もお金もいる。
生まれ変わっても、度々通えるような立場にはなれそうもないが、
かつてこのカウンターを賑わせた大人たちに一歩でも近づきたく思う。
ムリだろうがな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます