イギリスもので楽しい本を読ませてくれる林望さんは、実は国文学者。長年研究していきた源氏物語を現代口語に訳した。本人は「謹訳」という言葉を次のように説明している。
「原典の持つ深く豊かな文学世界を、忠実謹直なる態度で解釈し味わい尽くして、作者の「言いたかったこと」を、その行間までも掬い取りたいという思いを込めたのである。それは、私の古典学者としての責任である。」
第1巻は「桐壷」「帚木」「空蝉」「夕顔」「若紫」までが収録されている。
思いだせば、高校生時代「霧壺」を初めて読んだとき、全く訳が分からなくて、受験勉強素材としか感じなかったが、少なくても、この「謹訳源氏物語」はそういうことはない。壇ふみが「いやはやとびきり面白い」と語っている通り、実に読みやすい。
ただ、平安時代というのは、こういう時代だったのかと改めて思うことしきりだ。若紫の帖に出てくる、紫の君はまだ字も読めない子供であり、義理の母親である藤壺が源氏との道ならぬ恋で懐妊する騒ぎが出てくるあたり、今日的な倫理観で迫ってもどうにもならないのだ。
大阪から清里に行くときに中央道恵那山トンネルを通過したところに園原というところがある。そこの月見堂に根元の幹のみが残っている「帚木」が生えている。「帚木」とは、遠くから見れば見えるのに近づくと消えてしまう、と言われている。
「帚木の心を知らでそのはらの みちにあやなく まどいぬるかな」との歌が出てくる。
「謹訳源氏物語」は、和歌の解説が分かりやすい。物語の話の展開より、和歌の方が何倍も面白い気がする。
林望さんのインタビューがある。
「本は娯楽です。勉強のために読むのではなく娯楽だと思ってほしい。誰もが読まなければいけない必読の書なんてものはなく、読みたければ読み、読みたくなければ読まない、それが読書の本来です。『謹訳 源氏物語』も娯楽として読んでほしいと思います。特に、声に出して読んでもらいたいですね。」
筆者がこう言っているのだから、第2巻も、肩肘張らずに楽しみながら読むことにしよう。