おじいちゃん、おばあちゃんがいて、母が居る。
そして私がいる。
甥っ子のゆうちゃんがいる。
当たり前のことだけど、当たり前じゃない。
これは、それこそ、すっごい偶然なんだー!
偶然が偶然を呼び、やがてそれは必然だったのかな~という結論に達する。
おじいちゃんが北鮮 (今の北朝鮮)に住んでいたのも。
おばあちゃんが南鮮 (今の韓国)へ独りで渡ったのも。
もし、あの時、おじいちゃんの両親。。。つまりは私の「ひいおじいちゃん達」がハワイへ移住する決心をしていたら・・・。
もし、おばあちゃんが親戚の家がある南朝鮮へ 「姉のお産を手伝う為にという目的で」 船で独り、海を渡っていなかったら・・・。
二人は出会ってはいなかった。
出会うどころか、おばあちゃんの人生は17歳で終わっていたかもしれないのだ。
もし、あの時、決心せずに日本に残っていたとしたら・・・
命長く生まれてきたのかも。
ひごもっこす代表、元気で口達者なおばあちゃん。
口ではおばあちゃんには到底敵わないおじいちゃん。
そんな二人が巡り合わせのように朝鮮半島で、出会う~その後に続く家族がこの世に生まれ出ることになるのだ。
ありがとう、おじいちゃんのおじいちゃん。あのときハワイへ移住しなくて。
ありがとう、おばあちゃん。 あのとき、朝鮮へ独りで渡ってくれて。
もし、誰かの決心が違っていたら・・・・
その後に続く私の母も、
私も、妹も、
甥っ子の雄ちゃんも、(明日が7歳の誕生日だね、おめでとう♪)
誰もこの世に生まれ、こうして当たり前のように生きてはいなかったんだよ。
凄い事をしてくれたんだよ。
奇跡だよ!
そう。
奇跡。
私達の命、ずっと繋がってる・・・。
おじいちゃん、おばあちゃん、それ以前の血が繋がったご先祖さまたちから・・・。
そして物語は始まるの。
ここに居るのは17歳のおばあちゃん。
勝気で母親に代わって炊事を担当してきたおばあちゃんは、子守を得意とした。
一番上の姉は、結婚し、南朝鮮に住んでいる。
おばあちゃんは孫の私に言った。
「毎日、毎日、畑仕事をする両親が戻ってくる前に 妹弟達の子守をしながら家族全員の食事を作ってね。 この状況から抜け出したかったんよ。姉が2番目の子供を身ごもってお産するのを手伝って欲しいって手紙が届いてね・・・・。
いや、自分が頼んだんだったっけ・・・? 一生懸命 両親を説得して南朝鮮へ行かせてくれってねえ。 両親も農作業の人手が欲しいから私を手放したくは無かっただろうけど、結局、いけることになったんよ。 嬉しかったね・・・」
生まれて初めて乗る大型船のデッキで、おばあちゃんは見送る母に手を振った・・・・のだろうと、何の疑いも無く想像していた幼い私。
よく船の汽笛が鳴って、紙テープが投げられて・・・
涙ながらに・・・・
え? 違ったの? おばあちゃん・・・?
「さっさと船の中へ入って座ったんよね。 あの時は、南朝鮮へいける嬉しさで いっぱいで。 そんなに親と別れるのが名残惜しいとは思わなかった。若かったんやねえ」
あ・・・・分かる、その感覚。
私も初めて行く海外は、高校生のころからの夢で強く望んだことだったから、親と別れるのが辛いって感覚余り無かった。これが永遠の別れってわけじゃないし。
でもー。
子供の頃に初めて聞いた話では すぐに語らなかったこと。
おばあちゃんが母親の姿を目にするのは、実は このときが生涯で最後となってしまったのだそうだ。
その後に襲った大洪水で、祖母の生家は流され、祖母の両親と残された弟が命を落としたのである。大工だった祖母の父親は、たいそう丈夫に家を建てていたらしい。「家ごと渦を巻くように ぐるっと一周しながら流されたと聞いている」と祖母は幼い私に語った。
昭和初期の港。
人生初の両親との別れ。
すぐに合流することになるだろうという甘い期待。
娘を想う母が心配そうに見送る姿を しっかりと目に焼き付けることが何故かできなかった。
つい、潤んだ母の瞳から目を逸らしてしまい、
「じゃ・・・」と船の中へ早足で消えるのは、どこか気恥ずかしいから。
「あのとき、母親に手を振ってあげればよかった。
さっさと船の中へ入ったりせずに、デッキに立って、見えなくなるまで手を振っていれば・・・。
見送りにきてくれた母に悪かった・・・」
船の中で一人、祖母は次第に遠ざかっていく汽笛の音だけを聴いていた・・・
その後、安易には帰れなくなる祖国日本からも
永遠の別れとなる両親からも遠く とおく・・・・離れていくことを意味していようとは知る由もなかったのだ。
続く・・・・
*最後の一行は余分かな。編集長なら、どう直すだろう・・・? 語りすぎも良くないし・・・余韻を持たせることも大切だし・・・悩む。 (すず、の独り事)