日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

こちらこそ、ありがとう☆

2009-05-08 22:25:27 | Weblog
まずは・・・主催会議、お疲れ様でした。
何度か店長会議を終えて、本社の階段を下りてくる店長に遭遇したことがあります。
緊張感漂う??会議のあとは・・・
確かに、へろへろ~なんでしょうね。
会議室から出てくる各店舗の店長達の姿は、傍目にも疲れてみえます。
でも、『店長~』って声をかけると、いつも にっこり笑顔^^。
 
あのときは、今日感テレビに出演した店長を見逃して残念だから、ビデオはないのですか? 是非、観たいんですけどって聞いたんだっけ・・・。
 
「俺もまだ、観てないけど、観なくていい、観なくていい」って照れ笑いしてました。
あれは夏の終わり。秋がきて、冬が来て、春になり今は初夏。
本社も様変わりしました。
 
『フェイス調整』の記事を社内で流用させて頂けませんか?
と嬉しいお話があり、日々現場で想っていること、お客様の想い、とあるスーパーでの本社の対応(かなり早いです。いや、早かった。旧さくら時代は特に)などなどと一緒に向き合う機会を得られたことに感謝致します。
 
今回、驚いたのは、日配バイヤーだけではなく、各店舗の日配リーダー15名(実はパートさん!!)も参加した会議を実施されているということ!!
日配リーダーとは、日配担当者の代表? ここでいえば、社員でしょうがパートさんが会議に出席出来るという事は、意見を述べる機会が与えられているということですよね?上から下へ。。。。本社での決定事項が順に下ろされていくことが普通の日本企業ですが、、、、これって画期的ですよね! この会議が月に一度も開催されるなんて・・・。
 
現場(パートさん)とバイヤーが会議で顔を合わせる。
残念ながら、ここでは そういう機会はありません。
でも、『ネット』の登場で、思わぬ方法で、現場の様子や担当者の意見を本社に届ける~ということを『私は』これまで実現できました。かれこれ2年近くに渡って・・・です。勿論、最初は、そのような意図はなかったものの、
 
現場 本社 お客様 メーカーさん 
 
を繋ぐ手段として ネット=このブログ&かつての『とある街のとあるスーパー』ブログ が活躍できたことは、紛れも無い事実。。。
マルタイさまと 日清食品のメーカーさんには 特に親近感を持ったり、担当者の私が つい、『ひいき目』を持ってしまうのも・・・ブログの存在をご存知で、いつもお会いすると、この話題で盛り上がるから・・・かもしれません。
 
そればかりか、今回のような例もあり、ネットが無ければまず、交流することは無かったであろう、下っ端担当者の私と 同業者の方と 『定番棚割や よりよい売り場作り』を実現するには、どうすればいいか等、考える機会を持つことが出来たことを嬉しく思います。
 
毎日バタついており、『フェイス調整』のその後・・・は、ここにはアップ出来ませんでしたが・・・。
 
「あ~、居た居た! 探しとったんよ。ちょっと、来い!」
(言葉使いは、ちょっと乱暴?でも笑顔です。部長はいつも^^優しいし)
 
「坦々麺は売れるやろ?」
「はい。売れます」
「花園に言っておく!」
 
その数日後。
日清のメーカーさんもご来店。
「担当が代わったので、本当は来ちゃいけないんですよ」
(オフなら、いいよね?)
この時!とばかり、坦々麺について質問しました。
 
「製造が終了になった訳ではないんでしょう?」
「違いますよ~」
 
せめて、スポットで入れてくれたらいいのにね。いつぞやのように・・・。
(過去に棚替で、坦々麺が外された!とブログに書いた翌日、本社発注、スポットで さくらへ大量に送り込まれることが決定した経緯あり。すべてネットがなせる業でした。正しい使い方をすれば、ネットは役立つものです。使い方を誤ると、怖いですが・・・)
 
「減塩のお醤油が無いんですよね。入れてもらえないのですか?」
という質問が翌日から何件あったことか・・・・。
ビルサービスさん(お掃除をして下さる方々)までもが聞かれたそうです。
「お客様の声に書いてください」と答えておいたけれど・・・ということでした。
 
今日、狸部長が 「置いておくべき商品は、置くべき?」と副店長に話している声が、ちらっと聞こえてしまいましたが・・・。(聞くつもりなんて無かったんですけど、聞こえてしまったのね)
地域性も考慮して、お問い合わせが多い商品については、定番化して欲しいというのが現場の本音です。乾物で言えば、日清食品の坦々麺も、その一つ。
 
昨年・今年の新入社員さんたちの研修時にも紹介されたとのこと。 あの記事は、現場に立って数年しないと、ピンとこないでしょうね。確かに。私の場合、人と商品に慣れるだけで、オロオロし、一年が経過してしまいました。
 
 
>でも、みんなが読んでる時間、し~んとした雰囲気(20名以上がすずさんの文章をじっと>読んでいる)は、すずさんが見ると(ま~在り得ないですが)喜んだでしょうね
 (主催会議で・・・日配リーダーさん達、バイヤーの皆さんが↑)
 
無許可で引用。ごめんちゃい。↑
はい!! 私には見えます、いえ、見えました!
想像力は豊かな方だと思います。
あのような駄文を じっと読んで下さって、こちらこそ ありがとうございました!
読んで下さったバイヤーや現場のリーダーの皆様のご感想をお知らせ下さって、本当に嬉しかったです。働くお店は違っても、感じることは同じなんですね。
今日は皆様のお陰で、気分良く一日を終える事ができました。
一部、お見苦しい記事もあったとは思いますが、会議のあと、早速ここへアクセスして頂いたと聞きました。昨日はアクセス130を越えたのは、そのためだったんですね。
 
私は『とあるスーパー』を辞めることが決定しましたし、ネット不要論者になりそうにもなった?ものの、ネットが無ければ知り合う事もなかった人達とのコミュニケーションを可能にしたネットに 今日だけは心から感謝したいと思います。
 
 
みなさん、本当にありがとう~
ブログは 今後も更新予定です。
 
すず
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北鮮での新婚生活(6)

2009-05-08 14:21:25 | Weblog

結婚前は南朝鮮でミツコの姉一家と共に暮らしていたおばあちゃん。そこでの暮らしは郵便局でタイピストの仕事を持ち、甥っ子である私の父の世話をし、充実していたそうだ。十代から、結婚する23歳まで、5年以上の南朝鮮生活を送ったことになる。

しかし、結婚後は北朝鮮へ移住していたおじいちゃんと新婚生活を送るため、姉一家の家を後にした。親族とも日本にいる家族とも別れて見知らぬ土地へ向かうのは、このときが初めてだったという。もっとも、おじいちゃんは夫になったわけだから、その後、一番近い人となっていくわけだが、住み慣れた南朝鮮を離れるときの心境は、そうではなかったらしい。

姉夫婦、甥っ子達と別れを告げ、ミツコは武夫につれだって、北へ向かった。寒い。とにかく寒い土地だった。手足がしびれる、窓から顔を出すと、外の空気が肌を刺す、といった感触は生まれてはじめてのものだった。

いつものように洗濯をする。洗い終わった洗濯物を干したあと、ミツコはかじかむ指に息を吹きかけ、温めた。寒すぎる外とは うって違って、室内はオンドルがあり、床暖房効果で温かい。これは日本では見たこともないものだった。寒い国では、外は寒くても家の中は温かいと、確かに耳にしたことがある。こういうことか、とミツコも思った。

しかし、北朝鮮の寒さで驚いたのは、ほんの数時間後、干し終えた洗濯物を再び手にした瞬間だった。カチカチに凍り付いているのだ! これでは乾くどころではない。冷凍衣類になっている洗濯物に手を触れ、震え上がる。

これが、北朝鮮での暮らし・・・。

外へ出ると、キムチをつけていたタルで、洗濯物を洗う主婦を目にし、ミツコは口をあんぐりとあけた。

「食べ物を入れておいたタルで、洗濯するなんて!」

それだけではない。再び、そのタルではキムチが漬けられるのだと後日、知ったときは言葉もでなかった。

今、ミツコは南朝鮮よりも遥か遠くへ嫁いだのだと実感していた。

そう。

母国である日本から より遠くへ来てしまったのだと・・・・。

 

続く・・・

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする