「あなたも私の母のように、美しい話を必要としている人だったのね」
ロシア人女性が五木寛之氏と向き合い、最後に言った台詞が自分の中でも しばらくの間、木霊した。
日露戦争。乃木大将とステッセルのピアノの話を五木寛之から聞いた娘の母は、「なんて美しい話…」と涙した。
戦時下のロシア。食べるものもなく、空腹のあまり、製本された本のページを一枚いちまい剥がし、糊を舐めたら、顔が腫れ上がるほど父親に殴られた、という過去を
「父親が娘の為に、舐めさせてくれた」という事実とは違う、美しい話、として娘に話して聞かせた母。そんなロシア人女性の母は、どんな心情だったのだろう。
余りにも辛く哀しい戦争体験を重ねた母には、”実の父には愛されたのだ”という実話とは違う過去を 記憶の中で置き換えることで、自分自身を救い出したかったのかもしれない。
紀行文のような、エッセイや日記のようでもある、作者初の書下ろしらしい「ステッセルのピアノ」
日本各地に存在するロシアから贈られたピアノ。戦利品として、分捕っただけかもしれない、という五木寛之氏。悲惨な過去から生まれた、単なる「美しい話」でしかないのか? 最後の最後に紹介されることとなる、ステッセルと乃木大将の書簡。
「彼は立派な軍人だった」
軍事裁判にかけられ死刑宣告を受けたステッセルを救うため、最大の努力をしたらしい乃木大将。また、乃木大将の死後、匿名で巨額の見舞金を送ったステッセル。 感動の涙、涙、涙。
美しい話、が必要だったのは、自分も又、同じ。
前回の記事を書いている途中、片頭痛の予兆が... あ、ヤバイかも... でも、パラリンピック閉会式を観たい! 偏頭痛にはならないぞ!と自分に言い聞かせるも、最初の30分程度を見てダウン。
翌日、仕事中、仕事後も偏頭痛は酷くなるばかり。その日の夜は、餃子3切れだけ食べて早く寝る。 (コメント欄、閉じておいて正解だった~~~)
今夜も「プロフェッショナル仕事の流儀 膵臓癌手術の名古屋大 医師」を見るまで、ぐっすり熟睡。今、復活して起きていますが、もう寝まーす。
では、おやすみなさいませ。
清い流れ