日々のあれこれ

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逆説の日本史 4⃣…とその前に、源氏はどこから来た?

2021-09-26 12:37:41 | 読書

 逆説の日本史」シリーズ、第四巻です。

ただ、2日前から読み始め、まだ半分に到達したばかりです。職場へ持ち込み、休憩時間にも読みましたが、30ページほどしか進みませんでした。同じところを行ったり来たり💦 感想ではなく、その箇所を( ..)φメモメモしておきますので~ 

 源氏と平氏は、何処から来た? (哲学の問いみたいですが、そうではありましぇん。最初に読んだ時、なぜ気付かなかったのか? 小学生の時に抱いた疑問に答えてくれていました)

 

 90ページをまとめると…;

藤原氏の摂関政治に対抗する形で、平安後期、嵯峨天皇が行ったこと。

「血縁の壁」で天皇家を守ろうとし、多数の妻と妾に50人もの子を産ませた。そのうち母の身分が低い者たちを一まとめにし、臣籍降下(しんせきこうか)させ、姓を与えた。

「源」という姓である。これが源氏の始まり。

…ということは、つまり、源氏は天皇家の血を引いているということではないですか!👀 だって、母方は(身分は低いにせよ)天皇との間に子供を授かった訳ですから!

私はてっきり、岐阜の山奥かどこかで、やんちゃ少年が有り余る力を武器に、天皇家の、いわゆる雇われ警備員的な役割を得て、のし上がったのかと勝手に思い込んでいたわ~仰天です。っていうか、なんて無知なのでしょう。今更ですが…😨

臣籍降下というのは、皇族の身分から低い身分へ落とすこと。天皇家には姓がないので。

こういう氏族を賜姓皇族(しせい皇族)と呼ぶそうです。姓を賜った、という意味で。あ、皆様、ご存じですね。知らないのは私だけ💦

こうして源姓となったものを賜姓源氏といい、どの天皇の時に源氏となったかで、(どの天皇まで皇族だったか)嵯峨源氏があり、清和源氏があるのですね!

ちなみに、鎌倉幕府を開いた、それこそ歴史嫌いな人でも知っている源頼朝など、「武士の一族」は、清和源氏の子孫なのだそうです。(91ページ1行目)他にも文徳源氏など、何系統かあるそうです。

 

 ただ、注意すべきことは、戦国時代になると、「土岐(とき)源氏」「甲斐源氏」など、幾多の源氏が出現するが、これとは全く違う、という点。

 戦国時代の源氏も鎌倉以前の源氏も、自然発生的に力がある者が武士として出没したのかと…??? 遂には天皇家の朝廷に代わり、政府(幕府)までっ! 政治も行うようになるとはねぇと思っていた…なんちゅう勘違いというか、思い込み。

 ちなみに、土岐源氏などは、清和源氏の子孫が各地方に土着したため、その土地の名で分類したもので、いわゆる賜姓源氏とは違う!(91ページラスト~92ページ1行目から抜粋)

 

 …と、ここまで知った所で更に気になるのは、そう…私が好きな 「一族が団結」しており日本人的な「滅びの美学」を感じる平氏ですが、(土地的にも平家滅亡した壇ノ浦に近いので)

平氏についての記述も、その先にちゃんと!ありましたよー 以下、抜粋します;

 「源氏のライバルである平氏も賜姓皇族だが、嵯峨天皇の次の淳和(じゅんな)天皇の時代に桓武天皇の孫である高棟(たかむね)王に与えられたのが、その始まりである。それゆえこの系統を「桓武平氏」というが、桓武天皇の時代に与えられたのではないので、注意を要する。」(92ページ2行目~4行目)

 …ということは、平氏の「はじまり」は、桓武天皇の孫! 天皇家の直系!  (清盛とハイタッチでもしたかのような気分です 一人で勝手に盛り上がってすみませ~ん)

 

 でも、意外や意外! 歴史の授業で先に習ったのは、平氏の方だったから、平氏の方が歴史は古いのかと思っていましたが、源氏の「始まり」の方が先だったんですね。大河『麒麟がくる』桶狭間の戦い 観た?(小学生の時 綴った平氏について調べたこと)

 井沢元彦さんの本題からは、かなり外れていますが、どうしても書いておきたくて。あの時、ちょっと疑問に思いながらも、心の何処かで、(先生も知らないだろうなぁ。質問したら先生が困るだろうなぁ)と遠慮して聞けなかったこと。今頃になって疑問が解けました。そして一読した31歳の時には素通りしてしまっていたこと。『古今和歌集』の六歌仙も「万葉種」と同じ?怨霊? 藤原氏は寄生虫? 藤原良房(804~872)も天皇にはなろうとしなかった! 寄生虫で満足していた! 外国なら自分が政権を倒して王(天皇)に収まろうというのが世界の常識? 言われてみれば… 源氏物語は鎮魂を込めて、藤原氏を悪役にし、光源氏が活躍する物語にした? 紫式部は海外なら打ち首? ところが、藤原氏一族の愛読書でもあった! そればかりか藤原氏は紫式部に当時高価だった紙や墨や硯を送り、支援すらしている!

 これらの説に呆気にとられ、 当時は「源氏のはじまり」に目が向かなかったのねぇ。

 

 あ、『ケガレ思想と差別の謎』前半の大事なポイントは、今、ささっと書いた通りですので。後半を読み始めます。✋

 

Comments (6)
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