
高野切第一種巻第二十の拡大臨書を続けています(半切略1/2大)
前回は「大歌所御歌」でしたが、今回は「神遊びの歌」から2首を。
(上記区分は和歌集の史料として重要視されている「定家本」による)
神楽歌
とりもののうた
かみがきのみむろのやまのさかきばは かみのみむろにしげりあひにける
神垣の 御室の山の榊葉は 神の御室に 茂りあひにける(1074番歌)
ひるめうた
ささのくまひのくまがわにこまとめて しばしみづかへかげをだにみむ
ささのくま 檜の隈川に駒とめて しばし水飼へ 影をだに見む(1080番歌)
「高野切古今集[第一種]」(日本名跡叢刊 二玄社 小松茂美氏監修-解説)から(漢字付きの歌を除く)。
今回も自分には遠い遠い、そして畏れ多い世界がテーマです。
自分の勉強の記録として残しておきたく、やや詳しくなりますが、ご容赦ください。
以下の順序で進めます。
〇「神遊び」と「神楽歌」の違い
〇とりもの(採物)の歌とは
〇「神垣の・・・」の歌について
〇ひるめ歌について
△「ささのくま・・・」の歌の基本的な解釈
△神楽歌(鍋島本)による解釈のイメージアップ
〇書道としての所見
〇まず「神遊び」と「神楽歌」から。
冒頭両者の紛らわしい表現から始まり、
前回も神遊びは神楽歌の古称と書きました。
間違いではないけど両者の違いにはもっと深い意味があるようです。
「神遊び」とは「日本国語大辞典」(最大の国語辞典)(以下、今回の拙ブログでは「大辞典」)には、
“神々が集まって楽を奏し、歌舞すること。
また、神前で歌舞を奏して神の心を慰めること。また、その歌舞、神楽。
古今集二〇には神遊びの歌が十余首収められている。”とあります。
広辞苑では“神遊びは神楽に同じ”と実に素っ気ない扱い(この種テーマではいかにも広辞苑らしい)ですが、
大辞典では、まず最初に、『神々自身が当事者になっておられる』
・・・このことを記しているところが根本的で大きな違いです。
神楽にはこの神々ご自身の行為は含まれず、
もっぱら神を祭るために、神前で(宮廷などの人々が)行う舞楽で、
当然、歌の意味合いも違ってくるものと思われます。
この二つの紛らわしい言葉ですが、
上掲の書のように高野切では「神楽歌」となっていますが、
前述の大辞典でも見ましたとおり、そして、書の方も藤原定家本では「神遊びの歌」
となっています。
〇次に、とりもの(採物)の歌、とあります。
「とりもの(採物)」とは、大辞典では“祭時に神官が手に持つ道具。
特に神楽歌の舞人である人長(にんじょう)が持って舞う物。”とあります。
本来9種類あるようですが、
古今和歌集では、榊(さかき)、弓(ゆみ)、杓(ひさご)、葛(かずら)の4つが
採用されているようです。
〇今回はそのうちの榊の歌です。
歌意は、そのまま解釈すればよいようです。
実はこの歌、拙ブログ「継色紙(伝小野道風筆)を拡大・なぞり臨書」(2016.12.12付 )
としてアップしています。
このような目出度い歌・・・しかも仮名の能筆二人(小野道風と高野切第一種書風の方)の作品・・・を
臨書する機会に恵まれ、大変有難いことと思っています。
上掲の書 高野切(下の句)では神の「御室」(みむろ)となっていますが、
藤原定家本では神の「御前」(みまえ)となっています。念の為。
〇次に「ひるめ歌」に参りましょう。
「ひるめ」とは大辞典によると、(日の女神の意) 天照大神(あまてらすおおみかみ)の別称と。
オットットト!でありました。
△「古今集の部屋(Milord Club)」様によりますと、
「ささのくま ひのくま川に駒とめて しばし水かへ かげをだに見む」
“水かへ”は水をやれ(飼ふの命令形)
“ひのくま川”は奈良県高市郡明日香村大字檜前(ひのくま)あたりを流れる檜隈川とあり、
(高市郡・・・奈良県ご出身の 高市早苗大臣が頭をよぎりました)
歌意は:ひのくま川に馬をとめて、しばらく、水を飲ませよ、その間、川に映るお姿だけでも見よう
万葉集に似た歌:「さひのくま ひのくま川に 馬とどめ 馬に水かへ 我よそに見む」がある、
(“さひのくま”の“さ”は接頭語で、“ひのくま”の繰り返し)(部分引用終わり)
とありました。
・・・なるほどそういう歌なのかと。
△また「雅楽研究所:研究庵」様によりますと
「神楽歌」(鍋島本)には「昼目歌」(ひるめうた)として次のような歌を
紹介されていました。
本歌:「いかばかり よきわざしてか あまてるや ひるめのかみを しばしとどめむ しばしとどめむ」
(いかばかり 善き業してか 天照るや 昼目の神を 暫し留めん 暫し留めん)
(どのような善いことをことをすれば、天照大神様にしばらく留まっていただけるか)
末歌:「いずこにか こまをつながむ あさひごが さすやおかべの たまざさのうえに たまざさのうえに」
(何処にか 駒を繋がむ 朝日子が 射すや丘辺の 玉笹の上に 玉笹の上に)
(どこに馬を繋ぎましょう、朝日が射す丘あたりの玉笹の上に繋ぎましょうか)
これらから、“朝が来て、神様(天照大神)がお帰りになろうとするのを
名残惜しんで留めよう” との歌と。
またこの曲は「秘曲」とも。(部分引用終わり)
(「秘曲」とは、大辞典によれば、特別の家系の者などだけに伝授し、一般には伝えない秘伝の楽曲、(趣旨)と。)
・・・例示していただいた神楽歌(鍋島本)のおかげで古今和歌集の歌も大きくイメージアップできそうです。
そして、いやはや、大変な歌のようです。
〇書道として一番留意したのは“丁寧さ”と“リズム”のバランスでしょうか。
丁寧さばかりに腐心しても流れや勢いがでませんし、
リズムだけに走っても雑なものになってしまいます。
この両者をそれなりに満足したものにするため、先ずは部分部分を何度も練習し、
これを基礎に、作品として書くときはリズム感をもって書くように努めました。
“の”、“み”はそれぞれ5文字ありますが、
似ているようで微妙にちがうところがあり、驚きでした。
臨書でも意を用いましたが、なかなかでありました。
また第一種書風で大好きな“さ”もひるめ歌の最初にあり、
嬉しさのあまり、お手本より一寸太めに書いてしまいました。
それにしても、先の能面の表情のことといい、今回の神遊び、神楽のことといい、
この年になっても知らないことばかりであります。
私の場合、高野切で書道の練習をしなかったら、全く知る機会もなかったでしょう。
高野切様に感謝!感謝!です。
説明を読んでいて、故郷の幼い頃に、お祭りとかの神社で見た諸々を思い出しました。
今はどうか知りませんが、それぞれの神社で古式に乗っ取り色々な行事がその地域地域で伝承されていたのでしょうね。
小学生のころ近所の多摩谷保天満宮神楽殿で「お神楽」を見ることがあり、何となく不思議な感覚になった記憶があります。日本人の心のふるさとの一端を知ることができありがたいです。