もう一枚新しく入手した兼毫小筆にお付き合い下さい。
日ごろは縁遠い歌合(うたあわせ)の歌を書きました。
(半切1/3大 画像処理によりフィルター掛け)
女郎花
左
なびくとや人はみるらむをみなへし おもふかたにぞ風もふきける
右
おほかたのゝべなるよりはをみなへし ねやのつまにて見るはまされり
(ねやのつまは寝所の端?)
詞書には「本院左大臣時平前栽合」(左大臣時平邸での秋の花見時の歌合)とあるとのことです。
かって拙ブログでもとりあげた「和様の書」を開いていましたら、
「十巻本歌合 巻第八 伝宗尊親王」のページに目がとまりました。
実は思わずオオっと声を上げた個所があるのですが、
それは歌の冒頭“那ひ”と2行目“風毛”の、文字をつなぐ連綿部分です。
そんなところにと笑われるでしょうが、そこではナナメにタテにと自在に連綿されており、
私としては初めて見るもので、相当な能筆家でなければ書けないなと感じたことでした。
同書などの解説によりますと
「歌合」は、宮廷・貴族が主催、右と左の二組にわかれて和歌を詠み、その歌の優劣を競う遊びで、
「十巻本歌合」は平安時代中期(9~11世紀)約140年間の歌会を記したもので、
歌にして全部で46度(左右一対で1度)が記されており、
草稿本(清書本でない)全十巻からなり、
本作品は第八巻に属するということのようです。
伝宗尊親王(鎌倉第6代将軍 初の皇族(後嵯峨天皇の皇子)出身)筆となっていますが、
これは当時手鏡(お手本)の巻末には、
「伝宗尊親王筆」との「極札(きわめふだ)」(書画等の鑑定結果の証明)を付したからで、
実際には当時を代表する能書家12~13人が関わって「十巻本歌合」を書写しており、
この中には高野切第一種、第二種の筆者も含まれているとのことです。
そして本作「巻第八」の「本院左大臣時平前栽合」部分は
高野切第一種と同じ筆者と推定されている、とのことでした。
道理で・・・と、素人ながらも納得・・・でありました。
日ごろは歌合など全くの別世界、
この歌合、左右を誰が歌い、どちらが勝ったかまでは調べておりませんが、
本作品を通して、そのほんの一端の一端を垣間見ることができました。
今回は兼毫小筆の主に芯の部分を使って書きました。
“細い活きた線を!”が目標ですが、まだまだコントロールできず、なかなか・・・であります。
いずれこの筆で高野切第一種にもチャレンジしてみたいと思っています。
なんと”細い生きた線を!”が目標と言うではないですか。もう十分細く生きた線で書かれると思いますが、やはり達人には私なんかが全く気が付かない違った世界があるのでしょうね。
目標に向かって努力される姿に、ただただ敬意を表するのみです。
「女郎花」、幼児のころ過ごした武蔵野の雑木林の中に見事に咲き誇る黄色い花、母が好んで摘んだ思い出の花です。
その「をみなへし」を歌合せで競う、何と平和で知的な文化国家なのでしょう、奥深い優れた歴史と伝統を感じます。
その伝統を解きほぐす挑戦を続ける意思と努力に改めて敬意を表します。