新しく入手した小筆で『蓬莱切(ほうらいぎれ)』(伝藤原行成筆)を書きました。
いくつかの動物の毛を組み合わせた兼毫筆です。
(半切1/2大 画像処理によりフィルター掛け)
文化遺産オンラインなどによると蓬莱切は、長寿などを寿いだ賀歌五首ほどが収められたもので、
肥前の国(佐賀県・長崎県)の松浦家に伝来し、明治時代世に出て、
同家江戸屋敷・蓬莱園に因んでの名前とのことです。
五首は草仮名(万葉仮名と平仮名の中間)三首、万葉仮名二首からできており、
もともと五首まとめてあったのが今は一首ごとの断片となっているようです。
今回は、分割される前の巻子本(五首一紙)の模本のうちの草仮名部分を書かせていただきました。
「大空に群れたる鶴(たづ)のさしながら 思ふ心のありげなるかな」
大空に群がっている無心の鶴(つる)もあたかもあなたの長寿を祝う心があるように見えることよ。(学研全訳古語辞典から)
(鶴:長寿の象徴 さしながら:然しながらで、あたかも、さながら 思う:長寿を願う)
「珍しき千代の子の日の例には まづ今日をこそ引くべかりけれ」
目新しくてすばらしい、千代の子(ね)の日の例には、先ず、今日を・この行事のありさまを、
引き合いに出すだろうな(帯とけの古典文芸さまから)
(松:長寿の象徴 先ずと掛詞 子の日の遊び:正月の最初の子の日に、野に出て小松を引き抜いて庭に植えたりなどし千代を祝ったとのこと
小松を引くと引き合いにするも掛詞)
「君が代は天の羽衣まれに来て 撫づとも尽きぬいはほ(巌)なるらむ 」
天人が稀に地上に降りてきて、その軽い羽衣で大岩を撫でるとしても、大岩はつきることがない。
そのように、君の寿命も長く久しくあってほしい。(日本秀歌秀句の辞典さまから)
(巌:国歌・君が代にある通り、苔のむすまで・・・)
冒頭、新たに兼毫筆の小筆を入手したと書きました。
この筆は、京都の老舗の筆で、芯は狸(白いところ)とイタチ毛で、外側は羊毛で出来ているとのことです。
イタチ毛だけのと比べると、筆を紙に当てたときの感触が、
ふわっとした、狭いながらも面を感じる安定感があります。
線も、柔らかみのある太い線もでますし、それでいて鋭く細い線も出るようです。
また墨の含みもよいため、特に太さと長さを持った渇筆も出せそうです。
因みに兼毫筆の小筆は前に“集賢池・・”と“八月十五夜・・”(ともに2021.3月)を書いていますが、
その時は、筆を全部おろした状態で書きましたが、
今回入手した小筆では筆先1/3ほどをおろしての状態で、このこと自体が初めてであります。
ところで実はこの蓬莱切、拙ブログを始めるちょっと前(10数年前)、
「かな書道」(黒田筑川著)(高橋書店)という本の中で初めて目にしました。
他の古筆と比べ、やや大きめな字で、連綿も少ない端正な字が並び、
また字や線の太細、大小、潤渇等の変化にも富み、“お手本にはピッタリ”と思っていました。
ただそう思いながらも鑑賞だけにとどめ、実際に書くのは尻込みしていた、
言わば憬れの書でありました。
その蓬莱切、現在は多くの高校の書道教科書の中でお手本として扱われているとのこと。
“やっぱり!”の気分でもあります。
遅ればせながら八十二翁、新しい小筆でこのお手本にチャレンジです。
鶴は縁起のいい鳥ぐらいには思っていましたが、遅まきながら長寿に関係しているのは初めて知りました。
更に道具と作品の具合についてもど素人の私には言われてみると成程と思うとともに相変わらずのあくなき向上心に唯々感心するのみです。
それにしても、万葉仮名、草仮名、平仮名の違い、蓬莱切賀歌五首とは何ぞや、筆の材質やそれぞれの特徴などわが日常では決して出会うことのない日本の歴史と伝統を知り私の中にわずかに残る知的好奇心を刺激していただき、ありがたいことと思います。