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昨日の総裁選は麻生氏の予想外の健闘でやや盛り上がり、今日は党三役に
注視が集まっている。興味ある組閣への動きは当然ながら明日以降になるので
天気は悪いが今のうちに探訪の続き。尤も明日は病院で最終診断があるので
控え目にしなくてはならない。
近くの上小塙地区で烏子稲荷と五万石騒動関連がターゲット。
(1)先ず烏子稲荷神社、環状線に赤い大鳥居があるが、そこから
距離がある。
むしろ「はなみずき通り」を北上して「大森院」信号を左折のほうが
簡単。七五三が近いので参道には幟の満艦飾。
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「スナエゴ」なのか「スナイゴ」なのかは知らないが「須苗郷」から。
「須苗郷」は現在の浜川・道場・楽間・行力・北新波・南新波・菊地・
西新波・我峰・下小塙・築縄・下小鳥・上小鳥の広大な地域。
その鎮守がこの神社、創建は783年の桓武天皇の時代。信玄が信仰した
と伝えられ、数度の焼失はあったものの本殿は信玄時代、神楽殿は
明治時代。
現在、豊岡にある浦野家の祖先と言われる武田家臣浦野氏もこの神社の
後見役で寄進の記録があるとの事。この神社は6世紀後半の円墳上に
建設されており、社殿裏には横穴式石室の入り口があり、市指定史跡。
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脇に伝説の「さかさ紅葉」の古木。寛永年間に逆さに植えたのに根をはつた
ので「生命の強い木」「大願成就の御神木」とか。理解不能だがまあいいや。
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今度は五万石騒動の世界へ。
(2)五万石騒動
この件は広く知られているので今更ここに記載するまでもないが、高崎藩は
幕末時点で八万二千石なのに何故五万石なのか?
高崎藩城付五万石という俗称は高崎藩成立後、安藤氏の頃に固定した高崎城を
中心とした周辺の領地が大体五万石であったことから来ており、「古領」とも
言われる。其の後、松平大河内の時代に加増されて八万二千石とはなったが
その増加分は飛び地。従って高崎周辺は五万石が通り相場。
事件は一揆と言われるが、正確には減税嘆願が発端であり、なにも江戸末期
の事ではなく、廃藩置県直前の明治の話。当時までの高崎藩領内の税制は
「八公ニ民」という過酷さであったとのこと。確かに酷すぎる搾取。
明治二年、戊辰戦争が終結し版籍奉還が上奏され旧藩主が知藩事に任命されると
明治政府は「悪政・矛盾は躊躇なく申し出よ」と布告した。
此れを拠り所に五万石45ヶ村は先祖代々の願望である年貢減免を期待して
嘆願運動を始めたが四千人が城下に押しかける事態を引き起こす。
ここでは高崎藩からは一年限りの減免を勝ち取ったが、岩鼻県は「徒党の罪」と
判定して大総代三人を逮捕・斬首した。明治四年の終結まで多数の農民運動家
が処分されている。
大森院の西端の道路脇に山田勝弥墓地の案内標柱があるが、
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実際は烏子稲荷神社の西方百㍍の畑の中。
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彼は斬首された大総代の跡を継いだ中総代の一人。逮捕された大総代の
代わりに明治三年八月、民部省に強訴して逮捕され、岩鼻の監獄に送られる。
十ヶ月後に牢死。51歳。
ここから「大森院」に向かって東に進む。大森院。
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大森院墓地の西南に回りこむと墓地の一角に三人の大総代の一人、「小島文次郎」
の碑と墓がある。
文次郎、上小塙の住人、書画・数学・謡曲に通じ且つ武芸の達人。
高崎藩45ヶ村の運命を背負って東奔西走、「佐藤三喜蔵・高井喜三郎」の両総代の
逮捕後、明治2年11月に両名の釈放嘆願に行って逮捕され、首謀者として
明治3年9月、無縁堂で斬首。享年46歳。
辞世は「人の為 草葉の露と 消ゆれども 名を後の世に 残すうれしさ」
供養碑の碑文を書いたのは友人で支援者の「中島養斎」、台石には一揆に
参加した各村総代や関係者の名が刻まれている。
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墓は其の右の木立の下。
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今度は車で17号線の上り車線へ。下乃城を過ぎて「科飼研」手前を左折して
百㍍で再び小道を左折すると「普門寺」が正面。
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境内左の一角に「佐藤三喜蔵」の墓と
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丈(3㍍)を超える巨大な顕彰碑。
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「佐藤三喜蔵」は下中居の住人、伝承では身長188cm、体重90kの巨漢とか。
高崎藩45ヶ村の大総代の一人として年貢減免運動を統率して奮闘。
明治2年11月に逮捕される。農民達は護送中の奪還を図るが失敗。
翌年の2月、同志の高井喜三郎と共に無縁堂で斬首。享年52歳。
辞世 「望みなき 身は今目限りに ちりぬるも 七度生まれて
かなへてやみん」
大総代最後の一人は「高井喜三郎」。墓は柴崎町・進雄神社の西方にある。
かって訪問しているので写真は其のときのもの。
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大類・柴崎村の出身、明治2年の減免運動に奮い立ち、大総代として
自らを捨てて活動。城主の怒りに触れて追われる身になってから、居住を
転々として難局を凌いだが明治2年11月に逮捕され翌年の2月に
佐藤三喜蔵と共に無縁堂で斬首。享年42歳。
辞世 「吾人のためなれと身をすてて いま生贄となりしうれしさ」
五万石騒動首謀者達が処刑された無縁堂は市内・田町北信号を東進し
東町と江木町の堺辺で長野堰の東側の細道へ右折、法輪寺墓地に
隣接している。元の高崎市営火葬場。
無縁堂に付いては1789年の「高崎志」にこんな記述がある。
「無縁堂は四面反畝にして森の中にあり。高崎の荼毘(だび)所也――」
慰霊碑と義人堂。無縁堂脇。
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そろそろ、安倍首相の会見が始るので今日は店じまい。
ご来訪のついでに下のバナーをポチッと。
注視が集まっている。興味ある組閣への動きは当然ながら明日以降になるので
天気は悪いが今のうちに探訪の続き。尤も明日は病院で最終診断があるので
控え目にしなくてはならない。
近くの上小塙地区で烏子稲荷と五万石騒動関連がターゲット。
(1)先ず烏子稲荷神社、環状線に赤い大鳥居があるが、そこから
距離がある。
むしろ「はなみずき通り」を北上して「大森院」信号を左折のほうが
簡単。七五三が近いので参道には幟の満艦飾。
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「スナエゴ」なのか「スナイゴ」なのかは知らないが「須苗郷」から。
「須苗郷」は現在の浜川・道場・楽間・行力・北新波・南新波・菊地・
西新波・我峰・下小塙・築縄・下小鳥・上小鳥の広大な地域。
その鎮守がこの神社、創建は783年の桓武天皇の時代。信玄が信仰した
と伝えられ、数度の焼失はあったものの本殿は信玄時代、神楽殿は
明治時代。
現在、豊岡にある浦野家の祖先と言われる武田家臣浦野氏もこの神社の
後見役で寄進の記録があるとの事。この神社は6世紀後半の円墳上に
建設されており、社殿裏には横穴式石室の入り口があり、市指定史跡。
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脇に伝説の「さかさ紅葉」の古木。寛永年間に逆さに植えたのに根をはつた
ので「生命の強い木」「大願成就の御神木」とか。理解不能だがまあいいや。
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今度は五万石騒動の世界へ。
(2)五万石騒動
この件は広く知られているので今更ここに記載するまでもないが、高崎藩は
幕末時点で八万二千石なのに何故五万石なのか?
高崎藩城付五万石という俗称は高崎藩成立後、安藤氏の頃に固定した高崎城を
中心とした周辺の領地が大体五万石であったことから来ており、「古領」とも
言われる。其の後、松平大河内の時代に加増されて八万二千石とはなったが
その増加分は飛び地。従って高崎周辺は五万石が通り相場。
事件は一揆と言われるが、正確には減税嘆願が発端であり、なにも江戸末期
の事ではなく、廃藩置県直前の明治の話。当時までの高崎藩領内の税制は
「八公ニ民」という過酷さであったとのこと。確かに酷すぎる搾取。
明治二年、戊辰戦争が終結し版籍奉還が上奏され旧藩主が知藩事に任命されると
明治政府は「悪政・矛盾は躊躇なく申し出よ」と布告した。
此れを拠り所に五万石45ヶ村は先祖代々の願望である年貢減免を期待して
嘆願運動を始めたが四千人が城下に押しかける事態を引き起こす。
ここでは高崎藩からは一年限りの減免を勝ち取ったが、岩鼻県は「徒党の罪」と
判定して大総代三人を逮捕・斬首した。明治四年の終結まで多数の農民運動家
が処分されている。
大森院の西端の道路脇に山田勝弥墓地の案内標柱があるが、
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実際は烏子稲荷神社の西方百㍍の畑の中。
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彼は斬首された大総代の跡を継いだ中総代の一人。逮捕された大総代の
代わりに明治三年八月、民部省に強訴して逮捕され、岩鼻の監獄に送られる。
十ヶ月後に牢死。51歳。
ここから「大森院」に向かって東に進む。大森院。
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大森院墓地の西南に回りこむと墓地の一角に三人の大総代の一人、「小島文次郎」
の碑と墓がある。
文次郎、上小塙の住人、書画・数学・謡曲に通じ且つ武芸の達人。
高崎藩45ヶ村の運命を背負って東奔西走、「佐藤三喜蔵・高井喜三郎」の両総代の
逮捕後、明治2年11月に両名の釈放嘆願に行って逮捕され、首謀者として
明治3年9月、無縁堂で斬首。享年46歳。
辞世は「人の為 草葉の露と 消ゆれども 名を後の世に 残すうれしさ」
供養碑の碑文を書いたのは友人で支援者の「中島養斎」、台石には一揆に
参加した各村総代や関係者の名が刻まれている。
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墓は其の右の木立の下。
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今度は車で17号線の上り車線へ。下乃城を過ぎて「科飼研」手前を左折して
百㍍で再び小道を左折すると「普門寺」が正面。
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境内左の一角に「佐藤三喜蔵」の墓と
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丈(3㍍)を超える巨大な顕彰碑。
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「佐藤三喜蔵」は下中居の住人、伝承では身長188cm、体重90kの巨漢とか。
高崎藩45ヶ村の大総代の一人として年貢減免運動を統率して奮闘。
明治2年11月に逮捕される。農民達は護送中の奪還を図るが失敗。
翌年の2月、同志の高井喜三郎と共に無縁堂で斬首。享年52歳。
辞世 「望みなき 身は今目限りに ちりぬるも 七度生まれて
かなへてやみん」
大総代最後の一人は「高井喜三郎」。墓は柴崎町・進雄神社の西方にある。
かって訪問しているので写真は其のときのもの。
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大類・柴崎村の出身、明治2年の減免運動に奮い立ち、大総代として
自らを捨てて活動。城主の怒りに触れて追われる身になってから、居住を
転々として難局を凌いだが明治2年11月に逮捕され翌年の2月に
佐藤三喜蔵と共に無縁堂で斬首。享年42歳。
辞世 「吾人のためなれと身をすてて いま生贄となりしうれしさ」
五万石騒動首謀者達が処刑された無縁堂は市内・田町北信号を東進し
東町と江木町の堺辺で長野堰の東側の細道へ右折、法輪寺墓地に
隣接している。元の高崎市営火葬場。
無縁堂に付いては1789年の「高崎志」にこんな記述がある。
「無縁堂は四面反畝にして森の中にあり。高崎の荼毘(だび)所也――」
慰霊碑と義人堂。無縁堂脇。
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そろそろ、安倍首相の会見が始るので今日は店じまい。
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