クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

四阿山は霧の中 H-20-8-22

2008-08-23 10:38:40 | 倉渕・長野原・草津・嬬恋
昨年の今頃、「湯の丸・烏帽子」へ行った後、ウィルス感染症にやられて以来、
登り残しで気になっていた嬬恋の山々の内、今日は定番の一つ「四阿山」を
簡便ハイキングコースで。往復の歩行距離は7.8Kらしい。
高崎から123号・164号・35号と乗り継いで「槻の木」まで既に40kだが
未だ半分も来ていない。145号・144を延々と西進して「大前駅前」の先で
漸くパルコール嬬恋まで右折して8kの道標。何度か左折を繰り返して
ホテル駐車場に到着。意外にも閑散としていて人影もまばら。長野は
ピーカンの予報なのに雲が厚く今日も展望は望めそうも無い。



直ぐに関東最長3200m・15分の空中遊泳が売り物のゴンドラ出発駅へ。
時間が遅過ぎたのか? ここも後ろに一組が居るだけ。
料金はシニア往復1100円、念の為にグランドシニアは無いのかと聞いたら
切符売りの女の子、ケラケラ笑って手を横に振るだけ。



ゴンドラは多分6人乗り位、後の組と離されて爺イ一人で乗せられ出発。



ゴンドラから下の景色、だが上を見てガックリ、山の中腹以上が濃い霧に
包まれ乳白の世界。先日の鼻曲山に続いての展望不良はツキが無い。



山頂駅付近は霧の流れの上に出たらしく幸いにも見晴しは良好。
「愛妻の鐘」や大看板付近には軽装の散策客が多数。ここは既に
2050mらしい。




暫らく雑談のお付き合いをしてから道標を見て出発。(10.45)



暫らく行くと「近道・登山道」の分岐がある。迷っていると後の組が
近道へ行ったので此方は見栄を張って登山道。



直ぐに露岩の多い急登になるが土の部分はドロドロの泥濘。昨夜辺り
豪雨でもあつたのか? 直ぐに道標が現れるので此方が正規の
登山道だろう。



小さなピークを越えると急降、露岩が濡れていて滑るので極めて危険。
降り切った所はどうやらさっきの近道に合流らしい。計測すると
ゴンドラ頂上駅から僅かに200㍍程、最初から時間がかかってしまった。



さて、ここからは軽い登りの高原のハイキング、だが道はこね回したような
泥濘で端を選んだりビシャビシャと泥道を歩いたりでかなり疲労を感じる。
一寸した広場に「第一休憩所」の看板、このタイプはスキー場用かな?



やがて急登に掛かると少々痛んだ木枠段、それを過ぎると板張りの道。




ここで小物入れで腰に下げていたメモ・ボールペン・地形図とおまけに
持参していた「あおちゅうさん」の紀行文コピーを落とした事に気付く。
下山して来たベテラン風の二人連れに拾ったらゴンドラ駅に届けて呉れと
図々しいお願いをして先へ急ぐ。予備のメモ道具は持ってはいるが。

道標を過ぎると付近は高度があるせいかこんな枯れ木の風景が続く。



やがてクマ笹の中に立派な道標、だがよく見ると四阿まで2kと書いてある。
冗談じゃない、もうここまで来れば山頂までは直線ではあるが
残り0.5kの距離の筈。(12.03)



ここからは登りに掛かるが前方に近道先行組みが二組見えた。珍しくも
爺イより登りが遅い人が居たのだ。



左脇に「到達点パルコール台」という看板、やはりゲレンデ用だな。



直ぐ先に分岐、茨木山方面と書いてある。



登りが急になるとここにも板張りの道。



絵に画いたような高原の道



最初の鎖場に向かうと狭い道は下りの人とのすれ違いでやや渋滞。
バッチを胸に着けたツアー団体の下りを待って先行者の後をゆっくり



岩場を慎重に乗りきると少し先が「東峰(北峰)」らしく、三角点に仏像。
點名・吾妻山 ニ等 2332.88m (12.33)




最後尾になったので気兼ね無く本日の爺イその一をパチリ。



「あずまや」の名はこの北峰と本体の南峰を含めた形が屋根に似ているからと
云われるが本来「四阿」とは四つの柱で作られた簡単な建物の意味なのに。
そう言えばこの山を中心にして北の「浦倉山」、東の「茨木山」、南の「的岩山」、
西の「根子岳」を四本柱に見立てているとの話もある。但し、日本武尊伝説に
固執する群馬県ではここは尊が帰還途中に通過した処として頂上の祠にも
奉ってあり山名も嬬恋村の付けた標識は「吾妻山」で「四阿」は括弧扱い。
* 蛇足
「上野国郡村誌・吾妻郡田代村」の項より引用
「吾妻山、本村ノ西北ニアリ東北ハ干俣(ホシマタ)村ニ属シ西ハ信州エ属シ
東南ハ本村ニ属ス。登路一条麓ヨリ2里険路ナリ。山脈万坐山・白根山ニ
接連シ当郡一等ノ高山ト云。樹木少、嶺上ハ茅・茨・熊ササヲ生ズ。
此山日本武尊吾妻ヲ征シ給ヒ、帰途御休憩ノ地ナリーーー」
因みに干俣村・田代村は明治22年に嬬恋村ヲ形成。

さて前方を見るとトンガリの本峰、又もや下山者とのすれ違いで渋滞気味。



稜線の北側の濃霧が一瞬だけ切れた。近くのこの山は「根子岳」かな。
その周辺も微かに見られたが本日唯一の展望も直ぐに濃霧に包まれた。




漸く頂上(12.44)だが予想に反して未だ超満員で座る場所も無い。
群馬県第六位の2354m。



嬬恋村設置の道標は「吾妻山」で「四阿山」は括弧。



標識前で本日の爺イそのニ。この後ろの祠は「信州祠」なのか? それとも「上州祠」?混雑で一つしか確認できなかった



単独氏と二人で隅に座りこんで休憩と昼食、だが狭い場所なので記念写真の
邪魔にならない様に数回移動を強いられる。観察していると鳥居峠方面からの
登山者が圧倒的に多いようだ。こっちが本来の登山道でゴンドラからのは
インチキルートだとはお隣さんの独り言。黙って頷く。
下界は全く見えないので諦めて下山開始(13.09)。
鎖場は腰を落して慎重に下り、泥濘の道をひたすら下って板張りの道、
木枠段は上から見るとこんな感じ(14.00)。



第一休憩所看板を過ぎて近道と登山道の分岐、よく見たらちゃんと道標が
あつた。



近道に入るとそこはゲレンデの中、途端に濃霧に包まれ何も見えない。
ナビで方向だけ確認して荒れ道を歩き、駅を通り越して「浦倉山」登山口の
看板を探し出したが余りの条件の悪さに諦めて戻る。だが、霧が濃くて
ゴンドラ駅が判らなくなってしまった。漸くこの看板を見てホッと一息(14.42)。



再び、ゴンドラ一人占めで下るが真っ白の中へどーんと飛び出すのは
余り気持のよいものではない。アッと、落し物を確認するのを忘れた。
駅に着いてから確認してみると、何とちゃんと届いていて頂上駅で保管して
あるとのこと。何たる幸運と言うか依頼した人の誠実さに感謝。
おまけに頂上駅の係員が届けるから15分待って呉れと。
これもお客を大事にする会社の風土と感心しきり。
駅員が提供してくれたパイプ椅子で待つこときっちり15分、頂上駅の
担当者が落し物だけ持って降りてきた。
メモには拾ってくれた人が実名入りできっちりと挨拶文。帰宅して検索したら
F県のM.T様、相当な著名人なので益々恐縮。しっかりした挨拶文が
頷ける。
気分よくして144・145号を一目散、恒例の浅間酒蔵のつまみ食いも自粛して
帰宅。往復走行距離 182K。今度は篭ノ登か角間山に行きたい。
但し、好天をよく見極めて。





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