クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

ひっそりと慰霊祭 H-25- 3-13

2013-03-14 16:54:22 | 高崎・甘楽・藤岡方面
この所、一ヶ月以上も足裏の具合が悪い。左足の第二・第三・第四指の
痺れが消えないのだ。自己診断では多分「モートン病」、使用している
新しい靴のせいか? 又は歩き方のせいか? は不明だが痛みは無いし、足裏に
500円玉が張り付いているような感覚だけなので、そのうち治るだろうと
思って軽めの歩きをやっている。
そんな事でグズグズしている内に楚巒山楽会の幹事役だった川俣さんの
命日が過ぎてしまった。毎年の恒例でその近辺には何処かの山の上で
一人だけの慰霊祭をやることになっているので今年も実施することに。
今年の場所を考えたが吉井東谷と甘楽下鳥屋を結ぶ峠に「山神様」があるのを
思い出したので近辺を周回しながら行くことにした。

R-71で吉井の街中を南進して東谷砂防ダムに駐車(10.05)。
バス釣りの人影も見えず、静かな湖面に対岸の山々が映っているだけ。



約200Mほど西へ歩き目印の製材所。おやおや、いつの間にか廃屋同然になって
いるので廃業らしい。かっては大判地の五人釜林道からの伐採材処理で
活躍していたのに。運搬車には確か今井木材と書いてあったと記憶する。



その製材所の西側から山に向かう細道が開かれている。この道は国土院の
地形図には載っていないが旧吉井町の1/10000には破線が書かれている。





上り始めは左斜面に沿っての平凡な道跡。



直ぐに右下の窪に防災用と思われる石積み。この類のものは稜線に至るまで
八段ぐらいある。



直ぐに第二、第三の石垣が現れるが何れも両端の何れかが崩壊しているので
簡単に擦り抜けられる。





気が付けば広幅の窪の中を歩いている模様。



木立の混みは無く何となく下に踏み跡が感じられるので気楽。



稜線手前に目印テープ、これはかって降り用に方向を示すために付けた物。



稜線に到着。ここは吉井と甘楽の境界尾根でゲート状に降り口を示したテープ(10.44)。



西への稜線が綺麗に伸び



東への稜線の先には小さな高み。この高みから尾根は南と北に別れ境界線は
北に進んで幕岩東端をかすめて朝日岳南峰の西南ルートとなっている。



高みの頂点にはこの杭、ここから北に向かう。



北への稜線はこの地域特有の岩畳のような感じ。



やがて断崖の直下に来たが観察だけで登るわけでもない。ここの崖には2009-3に
20Mのロープを設置しその後にベテランの「カズ」さんが使い勝手を直してくれたが
それから一年もしないうちに亡失となっている。何処かに流れていないか
未練がましく周辺を探るが勿論跡形も無い。



この崖の傾斜を横から。滑りやすいザラ場で足場になる岩が脆くて簡単に剥がれるので
年寄りが一人で行く場所ではない。



少し休んで山神様に向かうべく分岐に引き返す。このテープで間違いなく右(西)に曲がり
やや登ってから直ぐ南に向く。



このテープで再び西へ。



稜線は通る人も居ないらしく荒れた状態で小枝が煩く付き纏う。



左の南方面には藤岡や神流の山々。



右には甘楽の幕岩、連なりの横幅は数百mもある。



南に進路が変わるとやがて「五一八」と漢数字の彫られた標石。ここが地形図上の
424M地点。右手の西へ向かうと甘楽の下鳥屋集落に出られる。



道は益々荒れてくるが、里山の稜線は何時もこんなものだ。



前方に大きなピークが現れた。山神様はあの山塊の東の麓にあるのだがそれまでには
まだまだ幾つもの突起を越えて行く。



直ぐに続けて現れる小突起は何れも迂回道は使わずに正面から乗り越え。





NO.531の杭を通過。



進路を完全に倒木で塞がれている場所も。



珍しく植林地へ急降。



NO.536を見るともう峠だ(12.08)。



右下1.5mには林道が現れる。右は下鳥屋、左は天引森林公園園地のある上鳥屋。



峠には5基の石宮に囲まれた山神様。ここまで来るのに2時間も掛かってしまった。



早速遺影を飾って慰霊祭。川俣さんの写真は同じく桐生の山で遭難した
極楽トンボさんの現地慰霊祭のときに撮った集合写真きり無い。



写真の右から三人目の赤シャツの大柄の御仁が川俣さん。この時はaninecoさん、
hishiyamaさん、オッサンさん、お気楽マサさん始め、桐生の岳人が集まった。



慰霊祭を終わって同じ場所で本日の爺イ。



昼食などでゆっくり休憩してから森林公園展望台に向かって稜線を登る。



だが、このルートは極め付きの急登が連続するので急に自信が無くなり
NO.537杭で登りは止めにして林道から行くことに変更。



荒れた林道は落石跡が随所に見られるが通行にはさして障害ではない。



長々と歩き進んで舗装路に出た。もう、この道の右下には公園園地がある。



左の山手に案内図。周回でゆるゆると回る遊歩道ではなく、堰堤工事の作業道を
利用した「中の沢線」という直登道だ。



少し休んでその道に入る(13.25)。



連続する堰堤の銘盤をみると「平成14年天引復旧治山工事事業」とあつた。



登山道は沢の左岸を真っ直ぐに登っていく。



幾つかの堰堤を過ぎるとやがて沢の本流を離れて右折して支流に沿って続く。
木枠段は相当に老朽していて踏むと崩れるものもある。



正面に崖が現れ、登山道はこの石積みの小さな堰堤の所を左折して大きな蛇行が
始まる。



曲がりながら崖の斜度を見ると確かに迂回以外には方法がないと実感。



崩落箇所を恐々と抜けると



前方に稜線が見えた。




ここから一旦蛇行が終わって一直線の登り。



このピークが終点かと思ったら直前で左に急旋回。



山肌に沿ってダラダラと長い直線路が続く。



やっとのことで東屋が見えてほっとする。足裏は殆ど痛みも無く大丈夫のようだ。



そして東屋に到着(14.20)。これで吉井・甘楽の境界線に復帰したことになる。
さっきの案内板の所からの比高は200m弱、爺イにとっては立派な登山。



かってこの展望台は周辺の木々が生長するまでは見事な展望が得られたが
今は樹木に遮られて殆ど駄目。備え付けられた山名盤が空しい。



それでも天引山(摩利支天山)は樹幹から眺められた。



これで予定は終了したのでNO.554杭から連続の急降の開始。



落ち葉の滑る最初の降りを終わって振り返り。



こんな岩場を抜けながら前途多難を予想。



右下に東谷ダムが見えてきた。



NO.548から凄い下りが始まる。



ここから先が切り落ちで崖になっている。



難所が数箇所も続くのでやや膝と
脹脛が張ってきた。だが、岩角、木の根、捉まる雑木など一歩一歩緊張して
進むのも里山の醍醐味かも知れない。







遂に岩頭で立ち往生、仕方なく右(南)の窪から迂回。だが窪にあった獣道に惑わされて
不覚にも窪に下りすぎて稜線復帰まで大苦戦。
元に戻って振り返り。何の事はない、北側を迂回すれば簡単に通過できたんだ。



さて、漸くNO.542杭でさっきの峠の上に来た。あと一つ崖を降りればよい。



この先が切り落ちなのだが、下りばかり気を使っていると尾根が二分していることに
気づかない。一旦は左目の見出し票の赤色目指して少し下りそこから大きく右に
トラバースして右淵ぎりぎりを下る。
見出し票から真っ直ぐに行くと全く違う尾根になってしまう。



振り返りで降りてきた斜面。



そして何とか山上様前を通過して峠道を南に下る(15.27)。



峠道はザラ場が多くて滑りやすいが到着した気楽さで軽く進む。



やがて前方にR-71の舗装路が見えてきた。



そしてこんな下山口に到着するも標識の類は無い(15.46)。



で、駐車場所に無事に到着、京浜地区では突風騒ぎらしいがこの辺は
全くの無風でラッキーな一日だった(16.00)。
来週はやっぱり病院に行って来よう。



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