クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

今年の初ハイクは吉井・八束山 H-25- 1- 5

2013-01-06 12:19:26 | 高崎・甘楽・藤岡方面
正月早々、「まちすい」の方々が八束山の登山道整備をしたとの
情報がwassyさんのブログに載せられていたので今年のハイキングは
ここから始める事にした。

「まちすい」とは高崎市と合併前の吉井町でH-13年頃に設立された
「吉井町まちづくり推進委員会」のことで、其の活動の一つである
「八束山プロジェクト」はH-14年頃からボランティアで八束山北登山道の
整備に着手し、H-17年頃には西コースの整備まで手がけている。
丁度其の頃、吉井三山縦走を計画していた爺イもほんの僅かながら関与している。

昨年暮れには、主に西側登山道の張り出した小枝切と、目印テープ付。
今年の1/2には崩れてしまっていた西側登山口の階段整備と北コース浅間山の
天狗松付近の展望台整備とか。

さて、気温は低い予報だったが風が弱まるとの事なので吉井に向かった。
途中の南陽台信号から南の山々、遠く高いのは御荷鉾方面だが
其の手前の丘陵程度の低山群が吉井の山。



R-71で南進してから牛伏山方面に左折、僅かの距離でのこの道標で右折。



丁度、佐藤金属の真向かいの空き地が登山者用駐車場(10.35)。



早くも下山してきたらしい単独氏と挨拶を交わして登山口。



登山道の始めは竹と杉林の混在する軽い登りだが、斜面を蛇行する割には
傾斜は直ぐにきつくなるし、落ち葉か滑ってやや歩き難い。



最初の道標は古いもので今は無い「虚空蔵様」のまま。



やがて現地に着くがかって存在した「堂」が無く表示も「虚空蔵堂跡」と
加筆されている。



かってのお堂の様子をMHCさんから借用。この中に急逝した「つれづれ」さんも
写っているかも。



周辺には堂宇の周りにあった数体の石造物が残っている。





此処を過ぎると道標は次の目標の「浅間山」に変る。



浅間山に到着。この山は稜線の途中にある標高が推定で270m程の台地。
登山口の標高は170m位(10.59)。



早速、まちすいが伐採の手を入れた展望台。北側の雑木が無くなり
赤城方面や市街地が見事に見える。県庁も微かながら。



天狗松越しにそのやや左の眺め。



既に枯れてしまった天狗松は今、この姿。



かっては児童の作ったこんな説明板もあったのだが、見当たらない。



浅間山から一寸下ると進路は尾根歩きに変る。



下から眺めるともう頂上かと錯覚する突起の脇を通過。



再び緩く登る尾根、左側が伐採されていて大きく開けている。



東方に牛伏山が現れる。



その手前の稜線は爺イが「第二北コース」と勝手に呼んでいる一本尾根で
八束山の東肩から発しているが、何の変哲も無い急登のため、上りは
面白くないので下りに適している。



やがて、羊伝説の山らしく「羊の足跡」と称する巨岩。真ん中の窪みの
長さは約33センチとはどなたかの記事で読んだことがある。



少し先でこの北コース唯一のロープ設置場所。下地が乾燥してカリカリのザラ
なので大助かり。



此処を過ぎると後はこんな一本道。もう直ぐだ。



何とか、直下の腰曲輪に到着。山頂は右手の高み。



この八束山は「多胡八束城址」とか「多胡上城址」とも通称される。
ここは戦国の城郭であることはその遺構から確認されているのに、築城時期・
城主がハッキリしない不思議な城址。それほど、重要ではなかったからとは
思われるがその事が、羊大夫と結びついて「羊大夫の居城」という伝説を
生んで地元では暖かくそれを受け入れている。だが、山崎一氏の
著書などには明確に「伝説には全く関係なし」と決め付けている。
 なお「日本城郭全集3」によると、戦国初期の築城で、多胡城の要害城で
あるという解説がなされているそうである。東西に280m。

*「新屋村その史話と名物」(市立中央図書館にあり)より引用
「8世紀、羊太夫なる者、八束村に居住せしが望楼として天引村に城山を築き、
物見の先守とし、その勢い盛んになりけるに讒言により官軍に攻めこまれ、
城山を捨てて敗走、八束の城にて防戦す」



頂上の真ん中にはやや大形の石宮があるが銘は判らない。石宮のある周辺が
窪地になっているがこれが城址の井戸跡ともいわれている(12.00)。



その南の巨木の幹にワイヤーが一本。かつてここに「城山」との古い標識が
あったが今はその残骸も無い。



残骸といえばワイヤーに僅かに残る繊維の滓は爺イのこの記念物の
なれの果て。



標識は三枚。





メインのこれはまちすい作らしいが、以前とは設置位置が変更になっていて
標識越しに見晴らしが出来るように配慮されている。



昼食・休憩で本日の爺イ。



ゆっくり休んでからこの道標に従って西コースの下山開始。



今度は往路の1/2の距離で同じ標高差を下るので極めて急勾配で
其の上に露岩が多くてロープ場所の連続なので軽アイゼン装着。
歩き出しの雑木林には早くも目印テープが連続。



二つの大掘切を渡って城址の西端に来ると目の前が開けて絶好の展望場所。







台地を降りて暫くで歩き易い稜線が突然消え、前途はこの岩尾根に変る。
ここから変化に富んだ下りの開始。



厳しい尾根は避けて脇道に誘導される。



こんな岩の間をすり抜けるが太目の方は挟まるかも。



前が突然開けて朝日岳が姿を見せる。左の突起が吉井町の朝日南峰、右は
甘楽町区域の朝日北峰(天引城址)と思う。



巨岩群の脇を回りこむ。右が切り落としなので極めて慎重に。



露岩の厳しいロープ下りを振り返る。この辺はロープの連続で
岩櫃の蜜岩より遥かに厳しい感じ。ここは下りより登りに適している?



この下りコースで唯一の登り返しの小ピーク。極めて低いのだが下りで
腿がパンパンなので大コブに感じる。



今度は最長のロープ場所、定石どおりロープを両足の間に入れて後ろ向きに
なるが、下地が崩れ気味なので苦労する。



やつと前面にゴルフ場が見えた。吉井と甘楽に跨る「関越ハイランド」だ。



これで終わりと思ったら最後のロープ付き岩場。真ん中の割れ目に左足を掛ける
のだが短足爺イは届かないので右下の凹みに一旦右足をいれ、それから
左を割れ目に嵌めこむ。



足がガタガタになるのを堪えながら林に突入。ここも間断なく目印が付いているので
落ち葉で踏み跡が消えていても全く問題なし。整備は細部まで完璧だな。



終点近くで炭焼き窯跡を通過。



H-18に設置した丸太橋も老朽の気配も無く健在。



そして西口登山道着(13.38)。



古い標識、これはこの登山口が開発される前に爺イが別の入り口に付けていたのを
大切にここに移設して戴いたもの。



かつてはこんな若々しいものだつた。標識も作り手も年を重ねたという事だな。



さて、正月に手直しした登山口の階段、杭の部分が木だと腐りガ早いので、
今回はスチール単管を地面に打ち付け、それを支えに、ヒノキの丸太を乗せて、
作ったという気の使い方。



で、ボランティアの皆様に利用者の一人として御礼のご挨拶。



一休みの後に駐車場に向かって出発(13.45)。
墓地脇を通って山口橋を渡りR-17に出るとそこに登山口の道標。



県道を少し北上して「神戸バス停」の四つ角を右折し、近道で駐車場に帰着(14.12)。
9850歩の程よいハイキングだつた。

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2 コメント

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Unknown (egiko-ike)
2013-01-07 11:13:28
明けましておめでとうございます。
80歳にお成りとか。 新年早々に山歩きを始める意欲に感服します。 冷え込みのきつい冬ですが記事をみるかぎり北斜面に雪は無いようですね。

気持ちが高ぶってきたら亀穴峠から焙烙峠までの尾根道をたどって見たいなと思っています。 

本年の山行記録を楽しみにしています。
返信する
re.焙烙峠 (爺イ)
2013-01-07 13:49:57
(egiko-ike)さん
御無沙汰しています。小生も焙烙峠までの尾根歩きは
気になっているところですが未だに熊倉山までしか
行かれていません。
亀穴からは無理ですので甘楽天狗経由で小柏峠か
無名峠からを狙っています。
返信する

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