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先日、群馬フラワーハイランドに行った時、茶臼山が近いなーーとかって
2005.2007.2012と三回ほど登ったこの山を思い出していた。
そして何気なく2012のブログを見て大間違いを発見して苦笑い。
間違いとはこの山崎一氏の城址縄張り図を掲げて東からの破線があるとして
探索に向かったことだ。

今この図を北を上にして見れば正しくはこの図になり、東からの破線とは
何のことは無い南の島崎水産・釣り堀からのかっての南ルートの標準路に
過ぎなかった。
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そんなことで連休で東京から来ている客がゴルフに出かけたのでこちらも
一寸茶臼山に行くことにした。この山は人気の無い「可哀そうな山」。
安中・城下からR-18と別れてr-215をひたすら西進、二つのY字分岐は
全て右でハイランド前を通過して細道を進む。集落は続いているので
やや悪路ながら舗装道。やがて目当ての島崎水産看板前、とっくの昔に
廃業しているが看板のみ健在。

渓流を跨ぐ橋を渡りかけると前面は雑木が地表すれすれまで垂れ下がって
絡み合い四つん這いでも通過できる気配はないので諦め。本来は橋を
渡って左の尾根に登り上げて東北に進んで南北の本尾根に取りつけば
良いんだが。
車道を100m戻ってもう一つの橋際のこの道標付近に路傍駐車。

今度はちゃんとした林道のこの橋を渡る。この渓流は「秋間川」だと思う。
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渡り終えて直ぐの左斜面のこの摺り跡が南登山口。渓流に沿って直進すれば
釣り堀裏手に出るし、右手の急登尾根を北上すればずるずるの急登に難儀を
するにしても山頂に達する。

数メートル先にも同じような擦れ跡、下山の時に踏み跡を外さず下ってくれば
ここに降りてくる。いずれにしても何の変哲もない単調ルートなので
下り専門が良い。

林道を進むとかっては竹林に突入する道標と明瞭な登山路が開いていた
筈の位置は竹林の荒廃が甚だしく枯れ竹が折り重なり全く手に負えない。

林道が下りに入る手前でY字分岐。地形図にも明瞭に出ている箇所。
ここを左に進む。

林道は荒れながら緩やかに登る。リボンが沢山ぶら下がっているが
当然のことながら登山用の目印の筈はなく林道管理用か又は
営林関係のもの。

右側は鋭い切れ落ちで沢が意外に深いので要注意。

相当進んでもう茶臼山の真東に来た頃に右の沢がどん詰まりで
林道も消滅。

ここで左斜面に切り返しの踏み跡が派生しているので登山開始。

踏み跡は高度差も無しに山裾を回る感じ。
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やがて見覚えのあるテープの巻かれた木柱。切り込みの様子から
何らかの道標が付いていたと思われる。前回はここから右斜面に
向かった記憶があるが今はそんな馬力も無いので直進して
前面の尾根に進む。

進んでみたら尾根でも何でもなく唯の斜面。右に旋回して登りだす。
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正面からの写真では判りにくいが傾斜はこの程度。特別ではないが
今日は軽装でスニーカーで来ているのでエッジが効かずに余計な労力。
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斜面から尾根に移ると前面が嫌な雰囲気。若しかすると岩帯?
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やはり記憶にある巨岩帯、岩場などという生易してものではない。
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右は切れ落ちなので左抜けにかかるが急に乗り越えする気になって
右に這い上がって挑戦。

だがこんな所に追い詰められて惨めな撤退。やはり分相応は守るべし。
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元に戻ると長々と続くロープに頼って左窪に落ちないように斜面の
トラバース。
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慎重に進んでロープの終点。
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あとは踏み跡が頼り。
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やがて巨大窪の縁を延々と周り南ルートとの合流に向かう。
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足幅一つにも感じる斜面のトラバースなので超スローペース。
漸く南ルートに達する。
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南から直線突破はズルズル滑るので山頂手前100mから東へ迂回。
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真東に到着すると山頂が目の前、立っているのは城址の腰曲輪。
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直ぐに逆さまになった頂上標識にタッチして登頂。
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ここは低山ながら標識の多かったところ。この沼田のN.G氏のものは
地べたに落ちていたので一寸杭にねじ込み。
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同じく地表にこの古標識。
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元の姿はこれ。
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すかいさんの作品。これは確か2012頃、重鎮さんと一緒に安中アルプスを
縦走したときに付けたものと思われる。
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無くなっているものも多く、時代の流れを感じながら休憩。
本日の爺イ。初めての訪問が72歳、それからもう13年も経っている。
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帰路は一旦段差が明瞭な北東の腰曲輪に降りて城址を実感。
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南に回り込んで山頂を見ると平らな台地。
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降り始めの急下降を過ぎるとやや落ち着いた尾根降り。
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こんな気分良い林間をひたすら降る一本尾根。但し尾根分岐が二つ。
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最初の分岐は標柱の在るところ。直進も奇麗だがここは右選択。
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標柱は明らかに「宮標石」。こんな所で会えるとはラッキー。
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石宮前を通過。
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この分岐は左に大きく曲がる。
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もう渓流近くになってから右(西)手の廃屋を見に行く。結構大きな家、
若しかすると廃業した釣り堀の関係者?
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庭先から下方に釣り堀が見える。ここの三つの池は国土院地形図に
今でも池として記載されている。
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位置関係を確認してからこの堰堤を渡って元に戻り
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予定の箇所で林道に下ってハイクは終了。
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余計な一言
碓氷郡誌には
「この城の創建は1193年、頼朝が浅間三原野に狩を催した時、砦を此処に築いて
飽間太郎勝正を封じたのが始まり。爾後、累世の居城としたが後胤の飽間三郎勝成が
1351年、新田義宗に従って笛吹(うすい)峠で足利軍と戦って討ち死。
其の末裔飽間三郎勝俊の代となった時、内出城に転住したために、
その後空き城となった処より、漸次廃絶するに至った」とあるが城塞研究の
第一人者である山崎一氏はその著書・群馬県古城塁史の研究下巻」のP-183で
「築城形式からして鎌倉初期のものではなく南北朝時代のものと判断している。
1193年は、前年に征夷大将軍になり鎌倉幕府を立てた頼朝にとって絶頂期だが
三原野の巻狩りは「曽我物語」の中のことで実際にあったかどうかの確証は無い。
新田義宗(1331-1368)とは悲劇の名将・新田義貞の三男、父親が1338年に
敗死してから越後の新田一族に匿われて嫡子として成長。成人すると兄義興、
従弟の脇屋義治(義貞弟の脇屋儀助の子)らと越後、関東で宮方を指揮し南朝を
守るため執拗に北朝側の足利に抵抗した武将。
勝成が戦死した笛吹峠の戦いとは現在の旧軽井沢の辺で1352年の事。
この頃は勿論南北朝の真っ最中で天皇二人、年号二つという内乱激化の時。
内出城とは吾妻の「川戸・内出城」と区別して「上野・内出城」と云われる城址で
安中榛名駅と秋間小の中間にある。
尚、飽間は「あくま・あきま」と読む。秋間にある東上秋間の鎮守「飽馬神社」に
拠ると日本武尊の東征の時、この伊勢森に憩い御馬に飽かせ給いて、伊勢の
大神を祀り「飽馬ノ神社」と称し鎮座し「秋間」の地名の起こりとされている。
歴史上も戦国武将は縁起を担いで茶臼山に布陣している。川中島の謙信、
関が原の家康しかりであるが、元々茶臼山であったのか?
後の口伝でその名が付けられたのかは分からない。
群馬の茶臼山は、この安中と桐生にある。桐生茶臼山は294mの低山ながら
桐生吾妻山同様に群馬百名山に載っている。
その他群馬には「茶臼山古墳」と称するものが、赤堀の今井地区、
太田市川所、富岡・南後箇の三箇所にある。
「碓井郡志」によると「其の形が丁度茶臼の様に屹立
している」ことからこの「茶臼」の名が付いたとの事。
2005.2007.2012と三回ほど登ったこの山を思い出していた。
そして何気なく2012のブログを見て大間違いを発見して苦笑い。
間違いとはこの山崎一氏の城址縄張り図を掲げて東からの破線があるとして
探索に向かったことだ。
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今この図を北を上にして見れば正しくはこの図になり、東からの破線とは
何のことは無い南の島崎水産・釣り堀からのかっての南ルートの標準路に
過ぎなかった。
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そんなことで連休で東京から来ている客がゴルフに出かけたのでこちらも
一寸茶臼山に行くことにした。この山は人気の無い「可哀そうな山」。
安中・城下からR-18と別れてr-215をひたすら西進、二つのY字分岐は
全て右でハイランド前を通過して細道を進む。集落は続いているので
やや悪路ながら舗装道。やがて目当ての島崎水産看板前、とっくの昔に
廃業しているが看板のみ健在。
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渓流を跨ぐ橋を渡りかけると前面は雑木が地表すれすれまで垂れ下がって
絡み合い四つん這いでも通過できる気配はないので諦め。本来は橋を
渡って左の尾根に登り上げて東北に進んで南北の本尾根に取りつけば
良いんだが。
車道を100m戻ってもう一つの橋際のこの道標付近に路傍駐車。
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今度はちゃんとした林道のこの橋を渡る。この渓流は「秋間川」だと思う。
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渡り終えて直ぐの左斜面のこの摺り跡が南登山口。渓流に沿って直進すれば
釣り堀裏手に出るし、右手の急登尾根を北上すればずるずるの急登に難儀を
するにしても山頂に達する。

数メートル先にも同じような擦れ跡、下山の時に踏み跡を外さず下ってくれば
ここに降りてくる。いずれにしても何の変哲もない単調ルートなので
下り専門が良い。
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林道を進むとかっては竹林に突入する道標と明瞭な登山路が開いていた
筈の位置は竹林の荒廃が甚だしく枯れ竹が折り重なり全く手に負えない。
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林道が下りに入る手前でY字分岐。地形図にも明瞭に出ている箇所。
ここを左に進む。
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林道は荒れながら緩やかに登る。リボンが沢山ぶら下がっているが
当然のことながら登山用の目印の筈はなく林道管理用か又は
営林関係のもの。
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右側は鋭い切れ落ちで沢が意外に深いので要注意。
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相当進んでもう茶臼山の真東に来た頃に右の沢がどん詰まりで
林道も消滅。
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ここで左斜面に切り返しの踏み跡が派生しているので登山開始。
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踏み跡は高度差も無しに山裾を回る感じ。
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やがて見覚えのあるテープの巻かれた木柱。切り込みの様子から
何らかの道標が付いていたと思われる。前回はここから右斜面に
向かった記憶があるが今はそんな馬力も無いので直進して
前面の尾根に進む。
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進んでみたら尾根でも何でもなく唯の斜面。右に旋回して登りだす。
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正面からの写真では判りにくいが傾斜はこの程度。特別ではないが
今日は軽装でスニーカーで来ているのでエッジが効かずに余計な労力。

斜面から尾根に移ると前面が嫌な雰囲気。若しかすると岩帯?
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やはり記憶にある巨岩帯、岩場などという生易してものではない。
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右は切れ落ちなので左抜けにかかるが急に乗り越えする気になって
右に這い上がって挑戦。
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だがこんな所に追い詰められて惨めな撤退。やはり分相応は守るべし。
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元に戻ると長々と続くロープに頼って左窪に落ちないように斜面の
トラバース。
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慎重に進んでロープの終点。
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あとは踏み跡が頼り。
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やがて巨大窪の縁を延々と周り南ルートとの合流に向かう。
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足幅一つにも感じる斜面のトラバースなので超スローペース。
漸く南ルートに達する。
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南から直線突破はズルズル滑るので山頂手前100mから東へ迂回。
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真東に到着すると山頂が目の前、立っているのは城址の腰曲輪。
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直ぐに逆さまになった頂上標識にタッチして登頂。
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ここは低山ながら標識の多かったところ。この沼田のN.G氏のものは
地べたに落ちていたので一寸杭にねじ込み。
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同じく地表にこの古標識。
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元の姿はこれ。
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すかいさんの作品。これは確か2012頃、重鎮さんと一緒に安中アルプスを
縦走したときに付けたものと思われる。
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無くなっているものも多く、時代の流れを感じながら休憩。
本日の爺イ。初めての訪問が72歳、それからもう13年も経っている。
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帰路は一旦段差が明瞭な北東の腰曲輪に降りて城址を実感。
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南に回り込んで山頂を見ると平らな台地。
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降り始めの急下降を過ぎるとやや落ち着いた尾根降り。
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こんな気分良い林間をひたすら降る一本尾根。但し尾根分岐が二つ。
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最初の分岐は標柱の在るところ。直進も奇麗だがここは右選択。
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標柱は明らかに「宮標石」。こんな所で会えるとはラッキー。
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石宮前を通過。
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この分岐は左に大きく曲がる。
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もう渓流近くになってから右(西)手の廃屋を見に行く。結構大きな家、
若しかすると廃業した釣り堀の関係者?
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庭先から下方に釣り堀が見える。ここの三つの池は国土院地形図に
今でも池として記載されている。
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位置関係を確認してからこの堰堤を渡って元に戻り
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予定の箇所で林道に下ってハイクは終了。
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余計な一言
碓氷郡誌には
「この城の創建は1193年、頼朝が浅間三原野に狩を催した時、砦を此処に築いて
飽間太郎勝正を封じたのが始まり。爾後、累世の居城としたが後胤の飽間三郎勝成が
1351年、新田義宗に従って笛吹(うすい)峠で足利軍と戦って討ち死。
其の末裔飽間三郎勝俊の代となった時、内出城に転住したために、
その後空き城となった処より、漸次廃絶するに至った」とあるが城塞研究の
第一人者である山崎一氏はその著書・群馬県古城塁史の研究下巻」のP-183で
「築城形式からして鎌倉初期のものではなく南北朝時代のものと判断している。
1193年は、前年に征夷大将軍になり鎌倉幕府を立てた頼朝にとって絶頂期だが
三原野の巻狩りは「曽我物語」の中のことで実際にあったかどうかの確証は無い。
新田義宗(1331-1368)とは悲劇の名将・新田義貞の三男、父親が1338年に
敗死してから越後の新田一族に匿われて嫡子として成長。成人すると兄義興、
従弟の脇屋義治(義貞弟の脇屋儀助の子)らと越後、関東で宮方を指揮し南朝を
守るため執拗に北朝側の足利に抵抗した武将。
勝成が戦死した笛吹峠の戦いとは現在の旧軽井沢の辺で1352年の事。
この頃は勿論南北朝の真っ最中で天皇二人、年号二つという内乱激化の時。
内出城とは吾妻の「川戸・内出城」と区別して「上野・内出城」と云われる城址で
安中榛名駅と秋間小の中間にある。
尚、飽間は「あくま・あきま」と読む。秋間にある東上秋間の鎮守「飽馬神社」に
拠ると日本武尊の東征の時、この伊勢森に憩い御馬に飽かせ給いて、伊勢の
大神を祀り「飽馬ノ神社」と称し鎮座し「秋間」の地名の起こりとされている。
歴史上も戦国武将は縁起を担いで茶臼山に布陣している。川中島の謙信、
関が原の家康しかりであるが、元々茶臼山であったのか?
後の口伝でその名が付けられたのかは分からない。
群馬の茶臼山は、この安中と桐生にある。桐生茶臼山は294mの低山ながら
桐生吾妻山同様に群馬百名山に載っている。
その他群馬には「茶臼山古墳」と称するものが、赤堀の今井地区、
太田市川所、富岡・南後箇の三箇所にある。
「碓井郡志」によると「其の形が丁度茶臼の様に屹立
している」ことからこの「茶臼」の名が付いたとの事。
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