今日は脚力試しの軽登山。先日、安中石尊山の420段丸太段を
さしたる苦労もなく登れたが、これは標高差が僅かに100m。
今度は標高差200mの朝日岳。
この朝日岳は甘楽町の朝日岳北峰(通称は天引城址)とその南に
尾根続きで甘楽と吉井の市町村境にある通称「多胡美人」の
朝日岳南峰。
但し、下の国土院1/25000で見る様に両山とも山名記載はない。
北峰は三角点があるので448mの標高が表示されているが南峰には
何の印もない扱いである。
北峰は戦国時代の築城なのにこの地に古くから伝わる羊太夫伝説と
絡めた逸話で盛り上げられているが南峰の「多胡美人」も伝説では
負けていない。
吉井町馬庭飯玉神社境内にこんな万葉歌碑がある。
「多胡の嶺に 寄せ綱延へて 寄すれども
あにくやしづし その顔良きに」と。
この地域は八世紀初頭から「多胡郡」、「多胡の峰」とは今の
「牛伏山」。「牛伏山」に棲む天狗が引き綱かけて引き寄せても、
憎いことにあの娘は近寄っても来ない、その美しい顔を
鼻にかけているのかい」と万葉に謳われたのが多胡美人の朝日南峰
ーーーという次第。
さて、r-71で吉井の町を縦断し南に走行。正面に見える緑が
盛り上がった山が北峰。その陰で南峰は見えない。
「神戸」バス停の三つ角を右折して甘楽町が建設・所管する
「草喰八丁河原線」へ右折し
林道頂点手前の登山口看板の近くの空きスペースに駐車。
登山道は踏み跡明確だが急斜面の高度を上げるため、斜度は
最初からややキツい。
進路を西向きに取りながら反時計回り。
やがて林道頂点から東進してくる道との合流点は大崩落。
巨木が根っこごと倒れて道を塞いでいる。
ここから道は東に反転して時計回りに進む。
第一のロープ箇所、城址の一角を思わせる上の平地に上がる。
平地は斜面を人工的に削ったような三日月型。
この城址の形からすると一番北の「追手虎口」かな?
この平地から段差を越えるには左右何方でも良いが左の
岩場にしっかりした第二のロープ。
その先から次の尾根に向かう。
勿論ここでも第三ロープのお世話になる。下地は滑り易い
ザラ場なので大助かりだが下りでは更に有難味が分かるだろう。
軽アイゼン抜きのトレッキングシューズで来たのは不覚。
尾根道は荒々しく足元に注力。
又、第四ローブに縋る。
珍しく登山路特有の大岩の脇を通過。
気の休まる尾根道を進むと
突然、曲輪の様な場所。「郭」に入ったのかな?
第五のロープで段差を抜ける。
再び見通しの良い尾根。こんな所を歩くとアキレス腱も休まる。
やっと、北峰が見えたがウンザリするほど遠方だ。
又、斜面登りから次の尾根へ。このルートは小尾根が何時の間にか
斜面登りになり次の尾根に移ることの繰り返しだ。
この目印でやっと本格的登りが始まる雰囲気。
やや荒れた尾根登り。
大きな段差を越えていくと
明瞭に城址の雰囲気、最後の虎口受けかも知れない。
今度の段差は高さがある。
足掛かりの木の根も岩突起もないズルズルの壁を
第六ロープで苦労する。
息つく暇もなく最後の段差。
この出迎えテープで城址の頂点着。標識も見えた。スタートから
1時間5分。
真ん中に白杭の失われた三角点。點名草喰・三等448m。
頂上標識は初めて目にする布製。元のものは見当たらず。
記念にマスクをして本日の爺イ。
疲労感は全くないので直ぐに南峰に出発。二つの段差と
一つの堀切をクリヤして南への尾根道。
途中に墓地脇から登ってくるコースとの合流点。何時も
「南コース」と言っていたが表示を見ると「東コース」か正解。
南峰頂上は狭い岩テラスの様。目の前は断崖絶壁。
傷んだ標識が一枚。北峰と同じ標高が書いてあるがこっちは
等高線が一本多いのだから同じ訳はない。国土院地形図から
見ると456m位。
再び爺イ。
人造湖が遥かな霞の中。
握り飯一個で簡単に昼食を済ませ尾根を西に進む。
久し振りに人面岩の友人に再会。無言だが十年以上の付き合い。
折角だからマスクもつけてやった。
全ての予定を終了して帰路に就く。さっきクリヤした堀切。
其処からの脱出ロープ。
第二段差のロープ箇所。
北峰復帰の第一段差。
下り道はロープのお陰で一度も滑らずに無難に進めた。
途中で見たら下のゴルフ場では何組かがプレー中。
そして林道着で本日終了、この状態なら低山登りは未だ可能。
帰路の所要は47分。
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蛇足
「草喰八丁河原線」の事。
この林道は吉井の草喰地区を発して甘楽町大字秋畑字八丁河原に
至る18.7kmに及ぶ甘楽町による壮大な林道建設事業である。
工期は2000年から2021年まで。
目的は甘楽町を南北に縦断して流れる雄川右岸の森林地域に於ける
骨格的林道の整備を行い、森林整備の促進をするというもの。
スギ・ヒノキ 等の充実した木材資源の利用を図り 既設林道や県道を
連結し森林地域及び山村地域の路網 形成もふくむ。
そういえばここ数年、甘楽天狗山周辺で幅広の立派な林道が
姿を見せているし周辺の植林地の伐採が進み、天狗山の西面などは
はげ山になっているなどの事もこの一環かな。
「小幡羊太夫宗勝」の看板
林道頂点にこの看板があり、地元に愛される羊太夫伝説を強く
感ずる。
*「甘楽郡史」(市立中央図書館にあり)より引用
天引城は大字天引村の東部にあり、羊太夫が砦を構えし所と言う。
されど千余年の星霜を経たれば、今や砕かれたる。少しばかりの
礎、巌に残る胸壁の跡らしきもの、空しく往昔の面影を
留めるのみ、国破れて山河あり、城春にして草木深し。
*「新屋村その史話と名物」(市立中央図書館にあり)より引用
「8世紀、羊太夫なる者、八束村に居住せしが望楼として
天引村に城山を築き、物見の先守とし、その勢い盛んになりけるに
讒言により官軍に攻めこまれ、 城山を捨てて敗走、八束の城にて
防戦す」(この「城山」が朝日北峰なのだが地形図では八束山に
「城山」の表記)
又、平成19年頃は「天引城登口・城主甘尾若狭守」の
道標があった。多分、出所は甘楽町史」の記述「天引城址は
「一郷山・八束」両城と一線に並んだ単峰式山城、関東管領
上杉憲政の旗下・甘尾若狭守居城」辺りかな?
さしたる苦労もなく登れたが、これは標高差が僅かに100m。
今度は標高差200mの朝日岳。
この朝日岳は甘楽町の朝日岳北峰(通称は天引城址)とその南に
尾根続きで甘楽と吉井の市町村境にある通称「多胡美人」の
朝日岳南峰。
但し、下の国土院1/25000で見る様に両山とも山名記載はない。
北峰は三角点があるので448mの標高が表示されているが南峰には
何の印もない扱いである。
北峰は戦国時代の築城なのにこの地に古くから伝わる羊太夫伝説と
絡めた逸話で盛り上げられているが南峰の「多胡美人」も伝説では
負けていない。
吉井町馬庭飯玉神社境内にこんな万葉歌碑がある。
「多胡の嶺に 寄せ綱延へて 寄すれども
あにくやしづし その顔良きに」と。
この地域は八世紀初頭から「多胡郡」、「多胡の峰」とは今の
「牛伏山」。「牛伏山」に棲む天狗が引き綱かけて引き寄せても、
憎いことにあの娘は近寄っても来ない、その美しい顔を
鼻にかけているのかい」と万葉に謳われたのが多胡美人の朝日南峰
ーーーという次第。
さて、r-71で吉井の町を縦断し南に走行。正面に見える緑が
盛り上がった山が北峰。その陰で南峰は見えない。
「神戸」バス停の三つ角を右折して甘楽町が建設・所管する
「草喰八丁河原線」へ右折し
林道頂点手前の登山口看板の近くの空きスペースに駐車。
登山道は踏み跡明確だが急斜面の高度を上げるため、斜度は
最初からややキツい。
進路を西向きに取りながら反時計回り。
やがて林道頂点から東進してくる道との合流点は大崩落。
巨木が根っこごと倒れて道を塞いでいる。
ここから道は東に反転して時計回りに進む。
第一のロープ箇所、城址の一角を思わせる上の平地に上がる。
平地は斜面を人工的に削ったような三日月型。
この城址の形からすると一番北の「追手虎口」かな?
この平地から段差を越えるには左右何方でも良いが左の
岩場にしっかりした第二のロープ。
その先から次の尾根に向かう。
勿論ここでも第三ロープのお世話になる。下地は滑り易い
ザラ場なので大助かりだが下りでは更に有難味が分かるだろう。
軽アイゼン抜きのトレッキングシューズで来たのは不覚。
尾根道は荒々しく足元に注力。
又、第四ローブに縋る。
珍しく登山路特有の大岩の脇を通過。
気の休まる尾根道を進むと
突然、曲輪の様な場所。「郭」に入ったのかな?
第五のロープで段差を抜ける。
再び見通しの良い尾根。こんな所を歩くとアキレス腱も休まる。
やっと、北峰が見えたがウンザリするほど遠方だ。
又、斜面登りから次の尾根へ。このルートは小尾根が何時の間にか
斜面登りになり次の尾根に移ることの繰り返しだ。
この目印でやっと本格的登りが始まる雰囲気。
やや荒れた尾根登り。
大きな段差を越えていくと
明瞭に城址の雰囲気、最後の虎口受けかも知れない。
今度の段差は高さがある。
足掛かりの木の根も岩突起もないズルズルの壁を
第六ロープで苦労する。
息つく暇もなく最後の段差。
この出迎えテープで城址の頂点着。標識も見えた。スタートから
1時間5分。
真ん中に白杭の失われた三角点。點名草喰・三等448m。
頂上標識は初めて目にする布製。元のものは見当たらず。
記念にマスクをして本日の爺イ。
疲労感は全くないので直ぐに南峰に出発。二つの段差と
一つの堀切をクリヤして南への尾根道。
途中に墓地脇から登ってくるコースとの合流点。何時も
「南コース」と言っていたが表示を見ると「東コース」か正解。
南峰頂上は狭い岩テラスの様。目の前は断崖絶壁。
傷んだ標識が一枚。北峰と同じ標高が書いてあるがこっちは
等高線が一本多いのだから同じ訳はない。国土院地形図から
見ると456m位。
再び爺イ。
人造湖が遥かな霞の中。
握り飯一個で簡単に昼食を済ませ尾根を西に進む。
久し振りに人面岩の友人に再会。無言だが十年以上の付き合い。
折角だからマスクもつけてやった。
全ての予定を終了して帰路に就く。さっきクリヤした堀切。
其処からの脱出ロープ。
第二段差のロープ箇所。
北峰復帰の第一段差。
下り道はロープのお陰で一度も滑らずに無難に進めた。
途中で見たら下のゴルフ場では何組かがプレー中。
そして林道着で本日終了、この状態なら低山登りは未だ可能。
帰路の所要は47分。
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蛇足
「草喰八丁河原線」の事。
この林道は吉井の草喰地区を発して甘楽町大字秋畑字八丁河原に
至る18.7kmに及ぶ甘楽町による壮大な林道建設事業である。
工期は2000年から2021年まで。
目的は甘楽町を南北に縦断して流れる雄川右岸の森林地域に於ける
骨格的林道の整備を行い、森林整備の促進をするというもの。
スギ・ヒノキ 等の充実した木材資源の利用を図り 既設林道や県道を
連結し森林地域及び山村地域の路網 形成もふくむ。
そういえばここ数年、甘楽天狗山周辺で幅広の立派な林道が
姿を見せているし周辺の植林地の伐採が進み、天狗山の西面などは
はげ山になっているなどの事もこの一環かな。
「小幡羊太夫宗勝」の看板
林道頂点にこの看板があり、地元に愛される羊太夫伝説を強く
感ずる。
*「甘楽郡史」(市立中央図書館にあり)より引用
天引城は大字天引村の東部にあり、羊太夫が砦を構えし所と言う。
されど千余年の星霜を経たれば、今や砕かれたる。少しばかりの
礎、巌に残る胸壁の跡らしきもの、空しく往昔の面影を
留めるのみ、国破れて山河あり、城春にして草木深し。
*「新屋村その史話と名物」(市立中央図書館にあり)より引用
「8世紀、羊太夫なる者、八束村に居住せしが望楼として
天引村に城山を築き、物見の先守とし、その勢い盛んになりけるに
讒言により官軍に攻めこまれ、 城山を捨てて敗走、八束の城にて
防戦す」(この「城山」が朝日北峰なのだが地形図では八束山に
「城山」の表記)
又、平成19年頃は「天引城登口・城主甘尾若狭守」の
道標があった。多分、出所は甘楽町史」の記述「天引城址は
「一郷山・八束」両城と一線に並んだ単峰式山城、関東管領
上杉憲政の旗下・甘尾若狭守居城」辺りかな?
先日、登られたコースを降りましたが、なかなか傾斜の厳しい登山道でした。国土地理院の地図に明記されている北峰の東に県道まで続く実線表示の登山道に興味を持っています。作業場の放棄された物が散乱している辺りから1m幅の道を先日確認しています。近く降りてみようと計画しています。急傾斜なので廃道になっていたら無理はしませんが。
小生、87歳の老骨ですので最早低山の徘徊が
精一杯です。あの実線はその昔、一度辿ったことがありますが確か両側からの雑木の繁茂で撤退した記憶があり
悔しくて入口を探すために住吉神社付近から北に向かって西への道を探しましたが不明のまま諦めました。
地形図でも他の実線と異なり末端が県道に届いていないのが気になります。
久しぶりの吉井三山ですね。
少し前に群馬県の広報誌「グラフぐんま」に、この朝日岳が取り上げられました。
そのせいか、一時的に登山者が増えたようです。とはいえ、めったに人に会うことはないと思いますが(笑)