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梅雨明けと共に毎日のように大気の状態不安定と警告がでるので
もう二ヶ月も山行きは開店休業状態。とは言ってもこれでは体も
鈍るので突然の雷雨が来ても退避し易い処と思って恒例の御巣鷹の尾根
慰霊登山に決めた。
慰霊登山を始めて今年で14年、12回目の訪問となる。ここ数年は墓標の
写真記録を整理することに重点を置き昨年までで未確認は94名分の所に
来ているのでもう一踏ん張りで未確認の墓標探しにケリを付けたい。
勿論、記録のあるのはご遺体発見場所のリストであり墓標位置の確認資料は
見当たらないから墓標が一体幾つ在るかは分からない。
結果から言うと新たに34名の墓標を発見したが、あと60名分は全く手掛かりがなく
て残念だが外国人を含めて墓標を作らないご遺族も多数と言う話も聞くので
あと一回ぐらいで打ち止めにする積り。
今日の狙いは下図を詳細に眺めると細かい枝分かれ道で行き止まりの箇所が20本も
あり見逃しがちなのでそれを探索する。一般の順回路とは異質の登山道表示の
場所もあり先日も通路整備中の日航関係者が転落死しているので登山と同じ心積もり。

R-254で富岡・下仁田と西進してr-45(下仁田・上野線)で南牧村をひたすら南進、
何時もの通り湯ノ沢トンネル手前で一服。このトンネルは2004-3開業の3.223mで
標高は既に約1000m、ほぼ直線で内部の照明も明るいのでトンネル嫌いの爺イでも
何の苦もなく走行できる。

トンネルを出るともう上野村、暫く下ってr-299との丁字路を左折。右折すれば
道は「武州街道」となって十石峠を越えて長野の「佐久穂町」に達している。
左折して僅かの距離で右に現れる「楢原郵便局」角を右折する。
ここから駐車場まで約 17km位。

やがてこの派手な道標満艦飾の処で左折して橋を渡り、上野ダム用の道に入る。
直進の道はぶどう峠に繋がっている。
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直ぐに「三岐」「浜平」「太神楽1号」「太神楽2号」「虎王」「長岩」「手水」
「琴音」と長短八基のトンネルを潜る。出たところが上野ダムで
そこからはやや路面の悪い村道が8kほど続く。
そして下の駐車場、何時もの観音像に出迎えられるが一週間後の慰霊の日用なのか
テントが一張。

僅かの距離を進むと漸く上の駐車場。自宅から70km、上空をチェックすると平地では
全く認められなかった黒雲が早くもせり出しているので早めに退散した方が良さそうだ。

登山口、ここの標高は1359m、昇魂の碑は1539mなので標高差は180m、歩行距離は0.8k。
何やらNHKの撮影クルーが待機していたので聞いてみたら県警の新人研修の取材とか。
今日は県警の他にも数組の団体の慰霊登山があるらしい。

入り口のカウンターは417、八月五日朝までの記録だから一日100人平均。

登山道は渓流沿いに作られているので涼しいが湿気が多いせいか何となくベトつく感じ。

最初の水場、下の駐車場からの旧道との合流点、一時期の閉鎖は解除されている。

進路は木枠段が整備されており、手摺も付いているので爺イの様な年寄りでも楽に歩ける。

すげの沢のささやきという記念碑まえ通過

やがて左斜面の中腹に休憩所・トイレなどの小屋が見えてくる。かってはこれを
日航小屋と通称していたと記憶する。
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数年前の崩落箇所には金属梯子がついて安全は確保されている。
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一部の横道は通行止め。
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このお地蔵様の前を通過すると
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大きな分岐。直進がすげの沢、左折すれば昇魂の碑のある広場。
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最初にすげの沢を再探索するので直進すると今年は風車が通路に移動していた。
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記念樹の前を過ぎると
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左斜面に多数の墓標が現れ厳粛な気分になる。
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すげの沢の祭壇は12日に備えたのか簡素に整理されていた。
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奥から見たすげの沢の様子。
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手前の橋付近からの1J付近。
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沢の中から見上げる2J方向。この沢からは多数のご遺体が発見された筈であるが
墓標の数はそれに見合わずどう探しても15名ほどが見つからない。
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沢から元に戻らず登山道を登り4A・4B・4Cの東最上部を調べるがその上は行き止まり、
西に向かって9E地点で本尾根に戻る。急斜面の段差には金属梯子が随所にあり
移動路が確保されている。

やがて爺イが毎回線香を手向ける乗務クルーお三方の墓標。地獄のような時間の中で
奮闘されて力尽きた方々。一時は批判の対象とされてお気の毒だった。

その上に未だに当時の惨劇を語る黒焦げの巨木。

此処までに新たに29名の墓銘碑を記録したがもう隈なく探した積りなので広場に
向かって下山開始。途中の祭壇もすつきりと整備されていた。
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広場には多数の参拝者がいて相変わらず管理人の黒澤さんが応対に大童。
一寸離れて昼食と休憩して本日の爺イ。

U字溝を遠望したらU字の中から最近樹木が伸びてきてU字が間もなくW字に変わりそう。
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休憩している内に賑わいも落ち付いて来たので黒澤さんと雑談。見つからなかった
日航関係者の墓銘碑の事を聞いたらその方は6Dと教えられた。例の行き止まり小路の
一つだ。早速尾根を登り返す。9Eから右に入り7Dの先で二段の鉄梯子を降りた
極めて分かり難い場所が6D、幸いにそこで5名を発見して合計34名で本日は
打ち切りとした。 結果として外国人21名と日本人60名は未記録のままで残った。
当方ももう年齢的に往復140Kmを走行して探索に向かうのは体力的に今年が
最後と感じるので慰霊祭ののち、今年中にもう一度挑戦してみたい。
集めた墓銘碑写真はBGMや摘要入りでデジブックに整理してDVDに移して何れ欲しい人に
差し上げる積り。
個人名が入った墓銘碑で個人情報に類するので折角のデジブックDVDは
このブログに載せるとかの公開は出来ないし遺族会もそれを希望していないので
眠ったままになる可能性もあるが爺イの知る限りこの形式の記録は世の中に無いから
何時か陽の目をみるかも知れない。
何時も協力して戴く黒沢さんに感謝して今回は此処まで。7900歩。
もう二ヶ月も山行きは開店休業状態。とは言ってもこれでは体も
鈍るので突然の雷雨が来ても退避し易い処と思って恒例の御巣鷹の尾根
慰霊登山に決めた。
慰霊登山を始めて今年で14年、12回目の訪問となる。ここ数年は墓標の
写真記録を整理することに重点を置き昨年までで未確認は94名分の所に
来ているのでもう一踏ん張りで未確認の墓標探しにケリを付けたい。
勿論、記録のあるのはご遺体発見場所のリストであり墓標位置の確認資料は
見当たらないから墓標が一体幾つ在るかは分からない。
結果から言うと新たに34名の墓標を発見したが、あと60名分は全く手掛かりがなく
て残念だが外国人を含めて墓標を作らないご遺族も多数と言う話も聞くので
あと一回ぐらいで打ち止めにする積り。
今日の狙いは下図を詳細に眺めると細かい枝分かれ道で行き止まりの箇所が20本も
あり見逃しがちなのでそれを探索する。一般の順回路とは異質の登山道表示の
場所もあり先日も通路整備中の日航関係者が転落死しているので登山と同じ心積もり。
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R-254で富岡・下仁田と西進してr-45(下仁田・上野線)で南牧村をひたすら南進、
何時もの通り湯ノ沢トンネル手前で一服。このトンネルは2004-3開業の3.223mで
標高は既に約1000m、ほぼ直線で内部の照明も明るいのでトンネル嫌いの爺イでも
何の苦もなく走行できる。
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トンネルを出るともう上野村、暫く下ってr-299との丁字路を左折。右折すれば
道は「武州街道」となって十石峠を越えて長野の「佐久穂町」に達している。
左折して僅かの距離で右に現れる「楢原郵便局」角を右折する。
ここから駐車場まで約 17km位。
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やがてこの派手な道標満艦飾の処で左折して橋を渡り、上野ダム用の道に入る。
直進の道はぶどう峠に繋がっている。
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直ぐに「三岐」「浜平」「太神楽1号」「太神楽2号」「虎王」「長岩」「手水」
「琴音」と長短八基のトンネルを潜る。出たところが上野ダムで
そこからはやや路面の悪い村道が8kほど続く。
そして下の駐車場、何時もの観音像に出迎えられるが一週間後の慰霊の日用なのか
テントが一張。
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僅かの距離を進むと漸く上の駐車場。自宅から70km、上空をチェックすると平地では
全く認められなかった黒雲が早くもせり出しているので早めに退散した方が良さそうだ。
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登山口、ここの標高は1359m、昇魂の碑は1539mなので標高差は180m、歩行距離は0.8k。
何やらNHKの撮影クルーが待機していたので聞いてみたら県警の新人研修の取材とか。
今日は県警の他にも数組の団体の慰霊登山があるらしい。
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入り口のカウンターは417、八月五日朝までの記録だから一日100人平均。
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登山道は渓流沿いに作られているので涼しいが湿気が多いせいか何となくベトつく感じ。
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最初の水場、下の駐車場からの旧道との合流点、一時期の閉鎖は解除されている。
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進路は木枠段が整備されており、手摺も付いているので爺イの様な年寄りでも楽に歩ける。
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すげの沢のささやきという記念碑まえ通過
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やがて左斜面の中腹に休憩所・トイレなどの小屋が見えてくる。かってはこれを
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数年前の崩落箇所には金属梯子がついて安全は確保されている。
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一部の横道は通行止め。
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このお地蔵様の前を通過すると
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大きな分岐。直進がすげの沢、左折すれば昇魂の碑のある広場。
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最初にすげの沢を再探索するので直進すると今年は風車が通路に移動していた。
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記念樹の前を過ぎると
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左斜面に多数の墓標が現れ厳粛な気分になる。
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すげの沢の祭壇は12日に備えたのか簡素に整理されていた。
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奥から見たすげの沢の様子。
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手前の橋付近からの1J付近。
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墓標の数はそれに見合わずどう探しても15名ほどが見つからない。
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沢から元に戻らず登山道を登り4A・4B・4Cの東最上部を調べるがその上は行き止まり、
西に向かって9E地点で本尾根に戻る。急斜面の段差には金属梯子が随所にあり
移動路が確保されている。
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やがて爺イが毎回線香を手向ける乗務クルーお三方の墓標。地獄のような時間の中で
奮闘されて力尽きた方々。一時は批判の対象とされてお気の毒だった。
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その上に未だに当時の惨劇を語る黒焦げの巨木。
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此処までに新たに29名の墓銘碑を記録したがもう隈なく探した積りなので広場に
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一寸離れて昼食と休憩して本日の爺イ。
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U字溝を遠望したらU字の中から最近樹木が伸びてきてU字が間もなくW字に変わりそう。
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休憩している内に賑わいも落ち付いて来たので黒澤さんと雑談。見つからなかった
日航関係者の墓銘碑の事を聞いたらその方は6Dと教えられた。例の行き止まり小路の
一つだ。早速尾根を登り返す。9Eから右に入り7Dの先で二段の鉄梯子を降りた
極めて分かり難い場所が6D、幸いにそこで5名を発見して合計34名で本日は
打ち切りとした。 結果として外国人21名と日本人60名は未記録のままで残った。
当方ももう年齢的に往復140Kmを走行して探索に向かうのは体力的に今年が
最後と感じるので慰霊祭ののち、今年中にもう一度挑戦してみたい。
集めた墓銘碑写真はBGMや摘要入りでデジブックに整理してDVDに移して何れ欲しい人に
差し上げる積り。
個人名が入った墓銘碑で個人情報に類するので折角のデジブックDVDは
このブログに載せるとかの公開は出来ないし遺族会もそれを希望していないので
眠ったままになる可能性もあるが爺イの知る限りこの形式の記録は世の中に無いから
何時か陽の目をみるかも知れない。
何時も協力して戴く黒沢さんに感謝して今回は此処まで。7900歩。