クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

大沢集落から小梨山周回(2) H-23-2-7

2011-02-08 14:08:02 | 高崎・甘楽・藤岡方面
ここから南は藤岡市。



西南から来てる稜線は小梨峠から東進の標準路。



小梨山へは東南の道、出だしから倒木・蔓多数。右側は藤岡、
左は高崎に編入された吉井。



ずっと先まで蔓の道。昨年には誰かがすっかり切り払ったんだが
ひと夏過ぎて今は元の木阿弥。



僅かの距離をほんの一寸のアップダウンで小梨山到着。但し小梨山
とはあくまで仮の山名。実際は無名峰。大昔の記録では「小梨子山」
(13.00)



三角点は立派な二等、点名・網掛 709.5m 所管は藤岡市。
この点名が小梨山であつてくれたら山名に自信が付くのだが。



爺イの標識も大分草臥れた。はっきり「仮称」としてある。



N.G氏の小型名刺型のものは剥がれて止め螺子のみの痕跡だけ。



そうなれば爺イのものをもう少し寿命を延すために修復。



ここも吹き曝しなので休む事もなく160m東の「大沢山」に向かって急降。
麓から大山に見える大沢山も稜線からはほんの小山程度。
難なく乗り越して次の小ビークへ。



途中で振り返ったら大沢山は矢張り立派な山。



ショーカットポイントまで600m。ピークの先は綺麗な尾根道。
尾根はこう在りたいものだ。



次の小ピークには赤杭、この稜線は境界線の杭がないので
こんなものでもホッとする。



やがて境界線が東南から北西に90度曲がる大ピーク。
進路を北西に採るのでピークに登らずにショートカット道。



尾根を急降すると前面に笹薮、踏み跡は見えないがここは何も
余計な心配はせずに真っ直ぐに突破すれば再び踏み跡に遭遇。



この道中、唯一の看板も横倒し。間もなく地べたに這って目に
触れなくなるだろう。



漸く、最後の分岐に到着、なんと大型脚立が立てかけてある(14.07)。
日差しは無いが風も当たらないので昼食・休憩。もう東登山口の
真西まで来ている。



尾根を直進すれば適当な地形から林道に飛び出せる近道だが
300山で紹介されるフェンスに囲まれた木造お宮の「庚申様」に
ドンピシャで下らなければ面白くない。
東の杉林は猛烈な急降、降り口不明だか、標高で20mも下ると
必ず斜め下りの踏み跡にぶつかる。それを辿れば素直に庚申様の
裏の尾根を降りることになる。

やがて庚申塔、これは昔の字なのか? 寛政12年(1800年)、
伊能忠敬の蝦夷地測量の年。



此方の仏像は安永8年(1779年)、ロシア船が国後に来航して
北方が騒然となった時。大黒屋幸太夫のアリューシャン漂着は
この四年後。



この首なし石像は不明。



そして予定通り庚申様に到着。これからの長い林道歩きも
考えてやや草臥れた本日の爺イ(14.32)。



少し休んで駐車場所に向かって出発。林道に下りて右に行くと
弘法の井戸・蛇喰渓谷だが反対の吉井への道標に従う。



グリーンパークゴルフの縁を回って進むとクラブハウス横。
牛伏山の天守閣風に作った展望台やアンテナも良く見える。
ここに山城のあつた戦国時代には未だ天守閣なるものは存在して
いないのだから城址としての天守閣と間違えるので爺イは不満。



やがて分岐を左折して



周囲に何も無い退屈な長い下り道の末に
本日も無事に駐車場所に帰着(15.13)。13.800歩にしては
やや時間が掛かり過ぎたハイキングだった。

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