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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#12 監督解任

2009年04月04日 | 1977 年 
以前 広岡監督の手腕について書きましたが、今回は野村監督の解任劇です。成績を
理由にクビを切られたり 契約満了でその座を退くのが通常ですが、野村監督の場合は
前代未聞でした。解任の理由に「人間性」が挙げられたのは初めてでした。プロ野球の
歴史の中で「人間性」が問われたのは今回と沢村賞の選考で記者達から発せられた
「江川投手の人間性は沢村賞にふさわしいのか」の2回くらいではないでしょうか。

元々 野村監督は続投することが決まっていました。8月末にオーナー自らの発言で
「来季も野村体制」を打ち出していました。実はこの発言が解任の動きのきっかけと
なったのでした。野村監督はオーナーのお気に入りで、それがチーム内の不満の声を
押さえつけていたのですが、現体制の反対勢力派がオーナー発言を受けて動きます。
球団レベルを超えて南海グループの問題として会議が開かれました。 議題はズバリ
「野村監督に公私混同の言動が多すぎる」 会議には球団関係者だけでなくグループと
関係の深い大手百貨店社長、宗教界から有名寺院の住職も招かれ、野村監督の勝手な
行動などが報告されました。
  ・東京遠征では監督はチームとは別行動で愛人宅に宿泊
  ・帰阪の際にも愛人の都合で出発時間が変更になるなど規律がとれない
  ・その愛人がコーチ会議に出席し作戦面にも口を出す
  ・監督職は解任するが野村捕手は支配下選手なので勝手な言動は許さない

     (注) この愛人が現夫人のサッチーこと沙知代さんでした

会議の結果、野村監督の続投は取り消され広瀬新監督の就任が発表されました。これに対し
野村監督は、まだシーズン中にも拘らず姿を消し職務を放棄しました。消息が途絶えて8日後
記者会見を開き反論を主張、球団と全面対決へと発展しました。    

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